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完食という呪い

「残さず全部食べましょう。」小学生の時からよく言われたものだ。

 でもよくよく考えてみると給食で配膳されたものは小学6年生の男の子や教員にとっても十分な量に設定されている。それを1年生のまだ胃腸が発達していない段階の子たちが同じ量を食べると言うのは無理な話ではないだろうか。

 我が家も残さず食べることを徹底していた。もしお腹がいっぱいで完食できない時には母が「も〜まったく」と言っては私の夕飯の残りを平らげていた。母は体重を増やしてゆき、ついには彼女が何kgあるか教えてくれなくなった。太る位ならば、食べなければ良いのになあと幼いながらに考えた記憶がある。最近母はダイエットに挑戦して6kg以上の減量に成功したらしいのでひとまず安心した。

 食事を残すことが行儀が悪いこととするのは日本人には多い考えだと思う。逆に、食べ残しがマナーとされる国は中国をはじめとしたアジア圏に多いらしい。幼少期の記憶から残すことがとんでもない罪悪だという風に刻み込まれている。食べ切らなきゃもったいないし、外食をした時には値段相当のものを食べないと損をした気分になる。食べ放題なんかは元を取ろうと私は考えていた。(原価なんてわかりっこないのにね。)

 自分が料理をする側だから相手に残されると悲しい気持ちはすごく分かる。しかし、作ったもの/作ってくれたものをただ消費することに囚われて、食事を楽しむということを忘れていた。そうすれば自ずと感謝にも繋がるし、身構えないせいで食欲も増すかもしれない。何よりも食事を提供してくれる人は苦痛に耐えた感触よりも喜んで食べることを望んでいるだろう。

 呪いは食事に限った話ではない。勉強、日記、その他家事に至るまで完璧であろうと私は躍起になっていた。別に誰かから褒めてもらいたいわけではなく、ちゃんとすると良い人間になれるという一種の自分の中の祈りのようなものであった。そんな自分を苦しめるような祈りはかえって生きづらくさせてしまっている。触らぬ神に祟りなしとはこのことだろう。


#ごはん #コラム #考え方 #完食主義

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