見出し画像

公務員だからって何を言ってもいいの?笑

「公務員なんだから国民の為にもっと働けよ」
「教師は人格者であるべき!」
「生活保護は甘えだ」
こんな心無い言葉を聞くたび、ぼくは

「お前、同じことを自分が言われたらどう思う?」と
無思考に相手の心を踏みにじる言葉に対して、
その想像力のなさに嫌気が差す。

生きることは頼ること

自己責任論において前提とされる人間像

→人間とはあくまで自立的な存在であり、またそうあるべきである、という考え方だ。人間は、他者から影響を受けることなく、自分の意志で行為することができる。そうである以上、その行為の原因はその人にしかない。そして、そのようにして引き起こされた行為の責任を、人間は自分一人で果たすことが出来る。他者との関わりから隔絶され、たった一人で物事を選択し、生きる、「強い」主体としての人間

(p6)

「強い責任」:自立性を偏重する近代的な人間観を前提とする、「強い」主体による責任



「弱い責任」:人間が他者を頼らざるを得ない「弱い」主体であることを前提とした、責任の概念

(p20)



独特的な美徳として自己責任論を内面化した人は、自分とは関係のない他者が誰かに助けられていることさえも、許容できなくなる。

→自己責任論は日本社会に定着していった

(p28)



責任が「排他的」なものである

(p35)



自己責任論に従うことは、無責任であることと両立する-ここに、強い責任が構造的に抱える問題が潜んでいるのである。

(p65)



思考は、一つの視点ではなく、複数の視点から考える営み

(p66)



紐帯: (ひもや帯のように)二つのものを結びつけて、つながりを持たせる、大切なもの。



乗り越えなければならないのは、責任の主体に課せられる排他性なのではないか。「責任のある者」と「責任のない者」を分断せず、他者との関係性のなかで引き受けられる責任概念こそが、強い責任の抱える問題を乗り越える手がかりになるのではないか。

(p105)



・子どもへの責任のあり方→「可能にしてあげるという態度」

:子どもは自分の「固有の未来」を持っている。子どもがどんな大人に成長するのか、その過程のなかで何を望み、何を得ようとするのかは、事前には予測できない。

(p133)



私たちは、誰もが、他者に依存している。他者を失ってしまったら、自分自身の依存もまた、危うくなってしまう。それが人間の傷つきやすさなのである。

(p177)



人間は誰もが傷つきやすさを抱えている。この世界に、傷ついても構わない人間、死んでも構わないような人間は、1人として存在しない。だからこそ私たちは、自分に植え付けられた幻想を、暴力を正当化する差別を、是正していかなければならない。

(p187)


人は傷つきやすさを抱えている
ただ、大人は、傷つきを見せるのは良くないことだと信じ込ませられている。ただ、ケアの必要がない人なんてこの世界にいるのだろうか?
生まれたときと死ぬときは周りの力を必要とするのに
その間の時間はケアの重要性を軽視される事自体が問題なのではないか?

いいなと思ったら応援しよう!