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betcover!!馬について

はじめに


betcover!! 馬について個人的感想・メモを書いていきます。

betcover!!のニューアルバム『馬』が本日10月17日にリリースされた。
5thアルバムとなる同作は、4thアルバム『卵』の前日譚として制作。

引用:https://www.cinra.net/happening/2023-10-17/4106


バーチャルセックス

爽快な演奏とハイテンポな楽曲で、実際のライブでも歓声が1番上がっていた。タイトルは【バーチャルセックス】とハッとするようなもの。歌詞を見てみると、暴力的で全然令和っぽくない。今の私たちが生きていて、見たことがないような場所や人などが並んでいる。

「馬鹿野郎!!」
この言葉は誰にも向かっていないのに、なぜか刺さる
SNSよりも刺々しくて最高な歌詞

もしも心がすべてなら いとしいお金はなにになる

フランク・シナトラ「唄」
(寺山修司のお気に入り詩集みたいなやつから抜粋した)

翔け夜の匂い草


”君”は、真夜中をぶち抜くほどのシルエット(真夜中に輪郭を持つほどの暗い影)になり壊れて泣いてしまった。本当は”明るい水着姿(明るい姿)で、そばにいてほしいのに。そんな”君”とは、もう同じ場所にいない。

対して”俺”は輝き・はばたくために厄介な雑草として、朝になったら悲しみを返してくれる生活を送る。

”そのうち見つけた老いた君の燻んだ髪を撫でてあげる”
昔そう言われたことを少女は思い出し、少し笑った場面から始まる。


”心変わり 心は 俯いた私のままよ 願いをかけて 扉を塞いで越えられない河の向こうへ”

フラメンコ

フラメンコ demo
https://youtu.be/9b_e96abXMw?feature=shared


火祭りの踊り

恋人は、慎ましくまだらで、哀れだった。
いつも火祭りの踊りは "苦しみながら君と踊りましょうよ" という。
走り去った君を乞うが、まだ靄の中 恋の最中 にいる。



不滅の国

不滅の国 - 君と出逢う場所、滅びない国
ユートピアのような、どこにもない場所だが理想郷のような国。
私も不滅の国へ行きたい。(この曲1番好き)

でも、何も滅びない上に全てがあるというのは、苦労とか思考は無くなったりするのかな…怖い。そんな不滅の国には、”今度こそ逃げ延びられるだろうか”がぴったりだなーって感じる。

炎天の日

炎天の日 MV
https://youtu.be/UXvMQ9OLXyw?feature=shared

炎天の日は、夏のとても炎のように燃える暑い日なんだろう。
映像や音源、歌詞は全て昭和のムード+蛇になっている。

ヘビには、「再生」「執着」「嫉妬」「毒」「医療」「永遠」などのイメージや象徴的な意味があります。

https://nanika.design/symbol/snake/


メキシカンパパ

歌詞の中の”君”は自由奔放だ。

”思い出すのは 何も知らない君さ”
”思い出すのは 他人の庭を突き進む君”
”いつか希望になって 売り物になって 野晒しで血を吐いてもいいの 上手く踊りながら 歌いながら”

”僕”と”君”との関係が曖昧で、分からない。
”君はどうしたい?”
どんな風に解釈したっていいんだろうなと思う。終わり


まとめ

柳瀬:(アルバム)全体のストーリーがあって、最初の大きな波がここで起きるような感じ。あまり言ってしまうと説明的になるのでアレですけど……今回は映画のカットアップみたいな考え方をしたんです。普通の曲順があるとして、最後のピークを最初に持ってきた。エスカレーターみたいにストーリーが循環していて、「超人」はエンディングで、最初にオチがわかってるという作りなんです。その方が面白いかなって。だから全曲ズレている。『卵』っていうタイトルも、始まりと終わりのどちらでもないみたいな感じで。

引用:https://rollingstonejapan.com/articles/detail/32338?n=2&e=39139

『馬』も卵のように初めにオチを置き、全曲がズレて感じるような構成になっているんだろう。アルバム全体で目まぐるしく場面が切り替わるし、曲中も展開が変わるものばかりだった。歌い方は乱雑で、演奏は歪みが強くかかっているものが多かった。

アルバムの全曲を歌詞を中心に考えたけど、結局よく分からなかった。よく分からなくていいなと思った。物事の解釈や見方は人によって異なるし、それを否定せず馬鹿にせず驕らずにいたいと思えた。

☆--オススメ!betcover!!をカバーしている人をまとめたプレイリスト--☆
https://on.soundcloud.com/Yhq4pA5v7Lcdr4QYA

(^~^  )


私は、この柳瀬二郎がサンクラに投稿している不死鳥が好きだ。
”火の鳥の行き先は 誰にも分からないんだぜ” 

手塚治虫の火の鳥を読んでいると、今も昔も同じなんだと感じる。

馬のアルバムは歌詞は欲望(特に色欲だらけ)で、曲数こそ少なくてもカロリー高めに感じる。ひとりよがりな願望を抱えている馬の曲たちは、大切なもの(例えば、君)を失ってしまうんだろう。

卵より
”あなたがいれば 続くかもしれない”

後日譚の卵は”あなた”や”君”のために、自分の欲望を諦めるんだろう。
俺は土になるし、輝ける場所はさらば と言う。




上手にまとまらないけど、馬(アルバム)は欲望や願望を持ち、その上その場から逃げることばかり考えている。自己中心的で”君”も居なくなってしまう。卵(アルバム)では諦念が感じられ、”君”がいる(欲する)ことで物語が進んでいる。そんなふうに感じた。


   


ものが溢れた現代では、人とのつながりを求め、また持続可能な社会(SDGs)といった「イミ(意味)消費」がされている。

山田昌弘『「今どきの若者」のリアル』
(PHP新書、牛窪恵『Z世代はなぜイミ(意味)消費に向かうのか?』)


私たちは拳で語り合ったりするだろうか?
通っている学校や職場、コミュニティに本音を言う人がいるだろうか?

馬(アルバム)は”馬鹿野郎!”と始まり、様々な物語が展開される。
そして馬鹿野郎な私たちだからこそ、betcover!!は最高に響く。

昭和から平成、時代は良くなっているのに令和になっても何かが足りないし多分欠けている。でもそれは誰かを攻撃したり、傷つけたりすることではない。ましてや自分を犠牲にしてまで行動することでもない。
卵〜馬のアルバムを聴きながら、そんなことをぼーっと考え答えが出ないままでいる。


柳瀬二郎が暴力行為に及んだとして、ニュース記事が出た。

善と悪はいつから、こんな二元的になった?
他人を貶すことで得られる承認は、息がしづらい。生きるって許し合うことではないの?許してください、なんて縋ることでもない。
やめて、なんて拒否すると会話なんかできない。
誰かに対して、みんな期待しすぎている。
推しとか他人なのに神格化して気持ち悪い
自分も他人も諦めて、諦めて許すことから始めることが難しいからって
尖った言葉で承認を得て分かった気にならないでほしい。


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