文才畑 #3 傘
東京の雨は基本、無視している。地元の強雨(つよさめ)に鍛えられスーパーアーマーを体得したので、大体の雨が小雨に見える。電車通勤だし、天気予報も見ないから、朝ドアを開けた瞬間にドドドと降ってなければ傘を持たずに出てゆく。
このあいだ、普段は無視する小雨なのにふと気がかわり、傘を持って最寄りのコンビニにいったことがある。
するとその帰り、まだ雨が降っていたのに、コンビニの滞在時間は1分ほどだったのに、傘立ての傘を忘れて帰ってきた。家に着いた時妙に身軽だなと考え込み、傘を忘れたことに気がついた。全然傘慣れしていない。結果傘をささない場合と同じ量の水を浴びた。
今日は傘をさして出勤した。ドドドの日だったのだ。久しぶりにドドドだなと思いながら。帰り道にやはり傘を忘れ、オフィスのエレベーターを往復した。そうやって人々は傘を置いてけぼりにし、性懲りもなく新しい傘をコンビニや百貨店やらで買う羽目になる。自ら動けない傘は人間に寄生することで移動し、その版図を広げてゆくのだ。
我が家にも傘が順調に増えている。東京に来て丸3年、傘なんて一本も買っていないはずなのに、なんか5、6本ある。どこか遠くの地にに忘れていってその地に根付いてしまった渡り傘も数知れずあるはずなのに。
買ってないのに増えているってことはどっかから盗んでいるってことだな。
そう考えてみると、傘って不思議な物質だな。誕生してからウン百年姿が変わっていないだとか、そんなにも関わらず絶滅せず現在でも人間に必要とされていて、と思いきやゆく先々で置いていかれ、忘れ物の代表選手として当然のごとく名を連ね、まあ買い直せばいいやの精神で捨て置かれる。ヨッシーみたいなものか。
フフ、傘、かわいそう。でも頑張っているんだな。なんてちょっと面白がっていたが、この感覚に何故か既視感(既感感?)を覚えモヤっとしていたところ、今思い出した。
けなげ組だこれ。亀田の柿の種の袋の裏にプリントされた、ゆるいイラストと哀愁漂う文章。柿ピーのおつまみらしさを司る要石。
亀田製菓を周回遅れで追いかける日記。