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noteでしたいこと

母親の手料理のことを書き記しておきたいという思いは、随分前からあった。
こういうテーマは万人向きで、たまたま知って登録(?)してみたnoteのような場所に書けば、もしかして楽しんでくれる人がいるのではないか——と思い、遡ってまずイントロとして離乳食の記憶について書き始めたのが最初である。
そこから幼稚園に入園し、アルミの弁当箱で食べた二段重ねの海苔弁当の衝撃(そしてプラスティックの、縦にスライドする箸箱との出会い)、また遠足の時に作ってくれた丸めたサンドウィッチ(ラップで飴玉のように巻いてあった)など、料理上手であった母の思い出せる限りの料理について書き続けるつもりであった。
しかし乳児期の部分をほぼ書き終えてもちっとも乗っていない自分がおり、書いていてなぜ詰らないのか分からないまま下書きのまま放り出してある。その後に書いたのが「あゝ缶ビール」という雑文、まあ身辺雑記というやつであるが、これも「何か違う」と思いながら書き続け、結局その違和感が払拭されることは最後までなかった。ただ、母の料理の時のように放り出さず、最後まで我慢したところが違う、というだけである。


これは根本にあった「身辺雑記でも格調高い文章を心がければそこそこ読める読み物になるのではないか」という思い込み自体が間違っているのでは? という反省の始まりであり、この辺りから読書感想文は別として、表現として雑文よりもう一歩進んだものを書こうと思い書いたのが「おいもほりの詩」である。
これは前述の散文を書いているときのような物足りなさはなかったので、これに大いに気をよくして「運動会の父親たち」という、やはり娘の通う幼稚園を題材に取って詩のごときものを書き始めたが、これも完成しなかった。
滑稽味と美文調を同居させたようなスタイル、というのが、まあ「おいもほりの詩」のときの狙いであったが、同様の効果がどうしても得られない。じつはこのテーマもタイトルも思いついたのは最初の娘の幼稚園時代、だから三年以上前である。今回思い立って再トライしたが、結局同じあたりで頓挫した。何故だかはやはり分からない。ただ、noteというのはスマホでもストレスなく編集できるし、そもそもの題材もたわいないものなので、通勤のおりなど思い出したようにいじろうとするが、何だか難しくて結局放り出してある。


さらにもう少し作品としての完成度を求め、「ファンタジー読み過ぎ!」というOLの話を書いてみた。今度は原稿用紙換算でたぶん10枚以内の、短めではあるが体裁としては小説ということになる。これは家で完全に酔っぱらって書いたのだが、その夜寝る時までは安酒の力でなんだか非常にうまく書けた気がしたものだ。
しかししらふに戻った翌朝には読み返すまでもなく「たぶんいつもの下手なやつだな」と直感的に悟っており、その日の夕方だか翌日にこわごわ覗いてみたら、やっぱり下手糞というか、とにかくがちゃがちゃした文章で、すぐに削除してしまった。
ただ、タイトルも世界観も捨てがたく、いっそOL時代からさかのぼって、女子大生時代から入社に至るまでの経緯を書いてみたらどうだろう、というアイディアが浮かんだ。
たぶんこの「遡りぐせ」こそわたしの致命的な宿痾らしいのだが、そもそもアイディアの中心である「空を飛ぶドラゴンの背中に乗った気分で通勤電車に揺られているOL」にたどり着く前に大いに話が逸脱し、結局まったく動きのない架空のスケッチになってしまった。これはまだ削除していないが続きを書いているうちにそれも放り出してしまい、完成どころかどうすれば完成形なのかすら皆目わからない袋小路にはまり込んでしまった。
ファンタジー大好きの田舎の少女が、大人の入り口で都会の鉄道網に希望を見出す、という決定的な場面も一応決まっていたのだが、夕暮れの跨線橋のうえで「ドラゴンって本当にいたんだ」とヒロインにつぶやかせることは出来なかった。

それでも、50の手前で、わたしはこのnoteにちょっとした生きがいを見つけたつもりになっている。一瞬の錯覚だったとしても、文章を書いていて「いいタッチが入った」と思えた時の高揚感は、日常では得難いものである。


わたしは自己満足してみたい。
数は少ないが「スキ」マークを頂いた時は、やっぱり嬉しかった。
半端にしたものを、一回リセットするように形にすることが、まあ当面の目標である。

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