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『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ! “冬の要塞”ヴェモルク重水工場破壊工作』戦記物では収まらない大作!!


本書は第二次世界大戦のさなか重水をめぐり行われた連合国とナチスとの攻防に脚光を当てた作品だ。舞台はノルウェーのオスロ西方にあるテレマルク県に広がるハンダルゲン高原という荒涼とした大地。極寒の地で冬には雪で閉ざされ、地元の猟師が時々、トナカイをしとめに足を踏み入れるくらいの場所だ。夜になると急激に気温が下がるため、地元では「炎さえ凍る」と実しやかに囁かれる厳しい自然が支配する世界。


この地に当時、世界で唯一の重水製造工場が存在した。それが、ノシュク・ヒドロ社が運営するヴェモルク水力発電所内にある重水工場だ。ノルウェーを占領したドイツ軍はこのヴェモルク水力発電所内にある重水の製造工場を支配下に治め重水の独占を図る。重水はある最新兵器を製造するのに最適な材料なのだ。その兵器とは後に原爆と呼ばれることになる兵器だ。ドイツの原爆製造を阻止するために、亡命先のイギリスで結成されたノルウェー人コマンドー部隊リンゲ中隊の10人(ポウルソン率いる先発グラウス隊4人とルンネバルク率いる後発のガンナーサイド隊6人)は冬のハンダルゲン高原へとパラシュート降下。極寒の地に潜伏し重水工場の破壊工作を行うという極秘任務を受ける。それはつまり、ドイツ軍のみではなく自然という最も御しがたい相手との闘いを意味する。本書は戦記という枠を超えたサバイバル記である。


1931年にアメリカの科学者ハロルド・ユーリーは重水を発見しノーベル化学賞を受賞する。通常の水素原子は陽子1個からなる原子とその周りをまわる電子一個でできている。ユーリーは原子核にさらに中性子1個を含む水素原子(同位体)を発見した。この同位体の原子量が1ではなく2であることから、これをデュートリウム、または重水素と名づけた。


この同位体は自然界ではごくわずかしか存在しない。例えば普通の水の場合、水素分子4100万個に対し重水素分子はたった1個しかふくまれない。その後、数人の科学者が重水を作る最善の方法は電気分解であることを突きとめる。ただし重水を作るには膨大な資源が必要になる。たった1キログラムの重水を作るのにある科学者は「普通の水を年間50トン処理しそのためには毎時32万キロワットの電力を消費する必要がある」と試算した。重水とはそれほど貴重なものなのだ。


ではなぜ貴重な重水を製造する工場が世界で唯一ノルウェーにのみ存在したのか。それは何千年も前からハンダルゲン高原を潤す豊富な水資源と、この地を利用した水力発電、さらにはこの発電所を利用した肥料用の水素工場。そして先見の明を持ったノルウェーの名高い青年化学者ライフ・トロンスターの存在に起因する。


1933年にトロンスターは大学時代の旧友でヴェモルク水素工場の主任設計技師を勤めていたヨーマル・ブルンと共にノシュク・ヒドロ社に対し重水の製造工場を作ってみてはと提案。当時は使い道があるか、わからない物質だったが「まずは技術が先、産業化や応用はそのあと」をモットーにしていたトロンスターは、いち早く重水の製造にヴェモルク発電所と水素工場が適していることに気づき、ノシュク・ヒドロ社を説得。自らが設計した重水製造工場の建設にこぎつける。しかし「事実は小説より奇なり」とはよくいったものである。このトロンスターこそ、後にリンゲ中隊の指揮官としてヴェモルク重水工場爆破工作の指揮をとることになるのだ。


ちなみに本書は500ページを越える大著である。そのために、実際に破壊工作を行うことになる10人のコマンドーのみではなく、ヴェモルクに関わる様々な人物やグループ群が登場し、その動きが見事なまでの緻密さを持って描かれている。例えば後方でリンゲ中隊を指揮したトロンスターの葛藤。自らが危険に身をさらすことなく多くの同胞を死地に送り出す苦悩。家族を残しイギリスでひとり反ナチス活動を続ける寂しさ。子供の成長を見届ける事のできないということは人生のかけがえのない部分を犠牲にしているのではと苦悶する姿。科学者ゆえに理解している原爆に対する恐怖と開発を阻止したいと思う使命感といった個人的な心情から、イギリスの特殊作戦執行部(SOE)との信頼構築と駆け引きといった組織的な活動などが複雑に絡み合う記述は圧巻だ。


その他にも、ドイツの陸軍兵器局で「ウラン・クラブ」を立ち上げ、ドイツの原爆開発のイニシアチブを取ろうとする野心溢れる若き科学者クルト・ディープナー。そして彼のライバルとして激しく火花を散らす大物化学者ヴェルナー・ハイゼンベルク。彼らドイツの科学者の派閥争いにも脚光が当てられている。


地元のレジスタンス組織ミロルグとゲシュタポの抗争も息を呑む。彼らのなかの数人はハンダルゲン高原に潜伏しているリンゲ中隊の存在を知っていた。もし彼らが逮捕され拷問を受ければ、破壊工作が暴露される危険があるのだ。実際にミロルグのリーダー、オーラヴ・スコーゲンは逮捕され激しい拷問を受けている。しかし彼は組織のこともリンゲ中隊のことも口にすることは無かった。


しかし、やはりなんと言っても、極寒のハンダルゲン高原に長期間潜伏し破壊工作の後に逃亡生活を送ったリンゲ中隊の面々のサバイバル記は圧巻だ。食料は底をつき、飢えと寒さの中で文明世界から隔絶した彼らがいかに生き残ったのか。その壮絶なサバイバルを是非本書で追体験して欲しい。


著者もあとがきで述べているが、本書はネイビーシールズの歴史版といった戦記物ではない。激しい銃撃戦などは一切ないのである。どちらかと言うと、極寒の地でチーム維持し生き抜くという冒険物といった感のある作品となっている。そういった意味では戦記好きだけではなく、冒険物が好きな人にもオススメできる。さらに原爆開発の裏側といった科学的な問題、政治的駆け引き、そしてイギリス軍を主体にした最初の破壊工作作戦「フレッシュマン作戦」でおきた部隊全滅という惨憺たる失敗の詳細など組織論的な問題も提起されているため科学好き、歴史好き、そして組織論好きなビジネスマンもオススメな一冊だ。
 





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