見出し画像

『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史』テロと暗殺が交錯する、紛争地帯の現実と倫理



アリー・ハッサン・サラメ。テログループ「黒い九月」のメンバーで、1972年にイスラエル選手団が殺害されたミュンヘンオリンピック事件の中心人物とされる。黒い九月の解散後はパレスチナ解放機構(PLO)の幹部として活動。米中央情報局(CIA)とPLO議長アラファートの情報交換ルートとして機能した人物だ。


79年、サラメがベイルートにある自宅から20メートルほどの地点を車で走っている時、道路わきに駐めてあった車が爆発。サラメは搬送先の病院で死亡した。実行犯はイスラエルの諜報機関モサドの工作員だった。


まるで映画か小説のような話だ。本書には、イスラエル建国以来行われてきたこのような暗殺作戦の詳細が、全編にわたり書き記されている。敵に囲まれたイスラエルでは、国家の存亡をかけた戦いが常に行われてきた。


著者のロネン・バーグマンは、イスラエル最大の日刊紙の軍事・諜報担当上級特派員として活躍する。著者はこうした戦いすべてを否定するわけではないが、多くの問題点を指摘する。例えば84年にガザ出身の少年ら4人が偽物の爆弾とナイフで武装しバスジャックを行った事件では、保安機関シン・ベトと特殊部隊により犯人のうち2人が射殺、2人が拘束された。拘束され戦争捕虜となった者の殺害は禁じられている。だが、シン・ベト職員は2人を人けのない場所に連れ出して撲殺し、遺体を激しく損傷させて、怒り狂った群衆によるリンチを偽装した。拘束が可能なはずのテロリストの即時殺害や捕虜への尋問中の暴行、死に至る拷問が常態化していた。


問題はほかにもある。重要人物の暗殺には首相による許可が必要であったが、紛争が始まると、軍などが暗殺作戦を軍事作戦として扱い、許可のないまま実行するケースが頻発する。民主主義のプロセスを破壊しかねない問題だ。


また、政治指導者を暗殺してよいのかというジレンマもある。PLOのアラファートはテロリストだったが、後には政治指導者として世界に認識された。ハマスの創立者ヤーシーンもしかりだ。政治指導者を殺せば国際社会から非難されるうえに、自国の閣僚も敵の殺害対象にされかねない。


しかし、ハマスやヒズボラの自爆攻撃が激化し多くの民間人が死傷する状況で、イスラエルは一線を越える。ハマス、ヒズボラの幹部をすべて暗殺の対象にしたのだ。結果、ヤーシーンも殺害された。


こうした暗殺に効果はあるのか。戦術的にはイエスである。例えば後にモサド長官となるメイル・ダガンが率いる「ジキット」はガザやヨルダン川西岸地域で苛烈なテロ撲滅作戦を展開し、PLO、ファタハを一時は壊滅状態にまで追い込んだ。しかし戦略的にはノーだ。能力、カリスマ性の抜きん出たPLOのナンバー2、アブー・ジハードの暗殺が、より過激な組織ハマスが台頭する道を切り開いたとの分析もある。


民間人や子供を巻き添えにした、血で血を洗う武力闘争の歴史に暗澹(あんたん)たる気持ちになる。だがこれが紛争地域の現実なのだろう。香港における動きや、急速に不安定化する東アジア情勢を考えれば、必読の一冊といえる。


 ※『週刊東洋経済』2020年7月25日号



いいなと思ったら応援しよう!