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『最初に父が殺された』南アジアの楽園で起きた凄惨な歴史


ときに歴史は恐ろしいほどに陰惨な物語を生み出す。民主カンプチアでおきた出来事は、ナチスのホロコーストや、毛沢東の大躍進政策、文化大革命にも匹敵する人類史上稀に見る惨禍であろう。民主カンプチアという名前でピンと来なければポル・ポト政権と呼んでもかまわない。


この政権での、極端な共産主義思想に基づいて行われた虐殺と飢餓で、全国民の四分の一にあたる二百万人以上が殺害された。本書では二百万人という数字が採用されているが、一説には三百万人以上ともいわれており、この数字を見るだけでも、ポル・ポト政権の恐ろしさが理解できるであろう。


本書は民主カンプチア時代を生き抜いた一人の女性の回想録だ。2000年に一度翻訳され出版されている。俳優のアンジェリナ・ジョリーが初監督作品としてNetflixで本作を映像化したのをきっかけに、このたび復刊される事になった。


著者ルオン・ウンはカンボジアの首都プノンペンで生まれた。父は親米派ロン・ノル政権で憲兵隊の大佐を務める中華系。母は幼い頃にカンボジアに移住してきた、華人。父の身分のおかげで、一家は内戦のさなかでも、大きな家に暮らし、家政婦が家事を行い、日本車まで所有する裕福な暮らしを営んでいた。


優しく頼りがいのある父イン。背が高く美人の母チョン。病弱な長兄メン(18歳)。空手の達人で威厳のある次兄コイ(16歳)。美人だがゴシップ好きが玉に瑕の長女キーヴ(14歳)。ちょっと軽薄な三男キム(10歳)。優しく寛容で大人しい次女ジュー(8歳)。おてんばで兄弟の仲で一番手がかかる著者ルオン(5歳)。そして愛らしい末の娘ギーク(2歳)。本書の前半数十ページは高級官僚一家が幸せに人生を謳歌する場面が5歳のルオンの目線で丹念に描かれている。だが1975年にプノンペンが陥落すると突然、生活の全てが奪われる。


革命政府オンカーはプノンペンに侵攻後、「米軍の空爆」があるためと称して全プノンペン市民に街からの退避を命じる。3日間ほどの疎開。そう市民には説明する。しかし、本当は都市部の市民を農村に追いやり、サハコーと呼ばれる人民公社で強制的に働かせるための策略であった。


各地を転々としていた一家が最終的に送られたのが、ポーサット州にあるローリアップという村だ。村長は都会からやってきた人々にオンカーは平等を与えると説明する。しかし、実態は革命以前から農村に暮らしていた、旧人民と都市部などで暮らしていた新人民に人々を分類し、新人民を徹底的に弾圧することを目的にしていた。村の広場に集められた新人民は持ち物検査をされ、ぜいたく品はすべた没収される。ルオンが大切にしていた母の手縫いの赤いドレスも没収され目の前で焼かれてしまう。


両親にはさまれて立つ私は全身をこわばらせ、叫びそうになるのを抑える。 「やめてよ!私の服にそんなことをするのは!私がいったい、何をしたというのよ?」 (中略)次に私の目に映ったのは、衣類が燃え上がり、私の赤い服がプラスチックのように溶けていく光景だった


「色のついた服を着るのは許されない。けばけばしい色は精神を堕落させるだけだ。いま着ている服も燃やしてしまえ。お前たちはもうここの住民となんら変わりなく、これからは黒いズボンと黒いシャツを着ろ。(後略)」


こうして地獄の日々が始まる。後に知る事になるのだが、著者たちが送り込まれたポーサット州のクメール・ルージュは国内でも指折りの残酷な集団であった。強制労働の時間は長く1日15時間ほどにもなり、食事は酷い時には数粒のお米が浮いているだけのお粥。一家は見る見る内にやせ細り、著者ルオンや末娘のギークはあばら骨が浮きでるほど痩せこけ、お腹だけがパンパンに膨らんで行く。「私の胃はまるで自分を食べているみたいに、いつもしくしくと痛んでいる」。極度の餓えのために家族が隠し持っていた米を盗み食いしてしまうルオン。父は全てを知りながら、ねずみのせいにして許してくれる。


兄弟のうち上の三人、メン、コイ、キーヴは青少年のみを集めた労働キャンプに徴収される。キーヴは労働キャンプで赤痢にかかり死ぬ。家族の中で最も美人であったキーヴだが、いまは痩せこけ、目はくぼみ、髪の毛も抜け落ち、自分の排泄物にまみれながら看病される事もなく一人で死んでいく。その様は読んでいるのが辛くなるほどだ。遺体はどこに埋められたのか判らないという。


革命から2年、次に父が殺される。おそらくロン・ノル政権下で高級将校であったことが露見したのだ。オンカーは知識人階級や旧政権の役人を次々に処刑していた。オンカーの兵士は父や家族に、移送中の牛車が壊れたので「手伝いに来て欲しい。1日ほどで帰れる」と説明する。しかし、これが嘘だという事は皆が知っている。兵士に連れて行かれた人々で帰ってきたものなど一人もいない。皆、殺されたのだ。父がどのように殺されたのかは判らない。だが、他の人たちと同様に帰ってくることはなかった。


当時12歳だった三男のキムが最年長の男として家族を支える事になる。キムはサハコーの畑でトウモロコシを何度となく盗む。見つかれば処刑される可能性が高い。母もルオンも罪悪感とトウモロコシへの期待という感情の板ばさみに苦しむ。しかし、やせ細り、うつろな表情を見せるようになっていた、末娘のギークの命はキムの盗むトウモロコシで繋ぎとめられていた。キムが家長として急速にたくましくなる中、ルオンにも変化が訪れる。父を殺された憎しみが彼女を変える。いつか必ずポル・ポトを殺してやる。怒りと復讐心が生きる目的となっていく。


私は泣かないし、わめかない。哀れみを乞うつもりもない。心を占めているのは復讐と殺人のことだけだ。


ジューはわかっていない。過去の悲しみを忘れるために、怒りを燃やし続ける新しい記憶が必要なのだ。いつの日かやつらに復讐してやる怒りこそ、生き延びるための原動力なのだから。


10歳にも満たない、好奇心旺盛だが世間知らずで屈託のない少女ルオンは、怪奇な政権によって幸せな少女時代を奪われ、憎しみに支配されていく。と同時にどこまでも父を恋しがる甘えん坊な少女の内面が時に現れ、心の針は両方の間を激しく行き来する。


ポル・ポト政権後半では処刑された人物の家族にまで粛清が行われるようになっていた。そうすれば、残った家族に復讐されることはないからだ。実際ローリアップ村でも家長が殺された家の家族が次々と消えていった。母チョンは決断する。子供たちを村から逃がし、孤児を装わせ、他の労働キャンプに紛れ込ませることを。


こうしてルオン、ジュー、キムは別々に生き延びるための手段を探す事になる。10歳前後の兄弟が殺戮と飢餓が渦巻く国でたった一人、生きる術を探すのである。母親の気持ちは、いかほどのものだっただろうか。


だが、母の決断は正しかったのだ。村に残った母と末娘ギークはポーサット州がベトナム軍によって解放される、わずか2ヶ月前に兵士によって連れ去られた。どこでどのような最期を迎えたのか、どこに埋められたのかは判らないままだ。だが、そのおかげでルオンたちは生き残る事ができた。母から離れた後、ルオンたちがどのような地獄を見、どのように生き延びたかは、是非本書を手にとって確認して欲しい。


アフリカや南アジアなど、先進国から見ると縁辺にあたる地域で行われる非人道的行為は見逃されやすい。こうした歴史にもう一度向き合うことで、いまも世界各地で起きている人権弾圧に多くの人が目を向けられるようになるのかもしれない。読むのが辛くなる本だが、そういう思いからお勧めする一冊だ。
 




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