「映像」として提供されるサッカー – CLベスト8でポチェッティーノに注目し気づいたこと
昨日は早朝にCL準々決勝2ndレグ マンチェスターシティ対トッテナムの激戦を視聴し、興奮のまま一日を過ごしました。
準備してきたゲームプラン、相手が用意してきた戦術、ピッチ上で起きている現象、選手の心理状態、そして自分自身が今どれほど冷静か。
刻々と変化していく状況の中で、監督として、問題を認識し解決策を見出すための意識の量をどれくらい保つことができるか。
この試合、グアルディオラとポチェッティーノ、両指揮官の表情が、何度もカメラに抜かれていたように、私は印象付けられています。
どちらのチームのファンでもない私は、監督目線でこの試合を楽しみました。
恣意的にということはなく、アウェイチームを率いるポチェッティーノに感情移入していたのですが、
開始早々、落ち着く暇もなく両軍に複数得点が生まれ、ピッチ上の22名が自らに課せられている役割の死守と、視界の中心に見えている出来事を脳に認知させることに精一杯だったなかで、
彼もまた、その混沌を楽しむ余裕はなかったはずです。
ただ一つ。
全身に黒いスーツをまとい、対称的なダイヤ型に引き締められたネクタイと、ピッチを見つめる彼の冴えた瞳の奥から感じられたのは、
この試合はこのままでは終わらない。どこかで分岐点がくる。
それを確信し、見極めようとする、勝負師独特の感覚。
ボールを介して生じている戦術的な因子に加え、
選手個々のキックの力感、口角、顎の高さ、首を伝う汗、仕草、スタンドの熱気。
それぞれが記号として何かを暗示し、試合の状況、行方を読み解くヒントを与えています。
一つさえその記号をピックアウトし溢さないよう、視界の端まで注意を払い、目に、耳に焼き付けている、集中力を極限に高めた状態のポチェッティーノの姿を巧妙に切り取る放映メディア。
1stレグを終え、この試合が人生最大の一戦になると言葉を残した彼の、グアルディオラへの挑戦への志の様が覗えました。
ボールを蹴ることの難しさ、面白さを魅力とする競技を見ているはずの私に生まれたこの感情は、果たして偶発的なものなのか、それとも..
画面いっぱいには鮮やかな緑が広がり、サックスブルーとエメラルドグリーンのシャツが時に夜空の星座のように直線を描きつつ点在し、衝突を繰り返しています。
突如、ズームアップし映し出された、座り込む1人の選手。
前半途中、シソコの負傷により、ポチェッティーノは最初の交代カードを切ることに。
ゲームのチェンジャー、フィニッシャーとしてピッチに立つ三名のためにベンチに折りたたまれたユニフォームの中に、シソコのいたセントラルを本職とする者の番号はありません。
試合前のミーティングの時点でこの危険は認知されていたのでしょう。
首脳陣が対応を決断する時間的猶予を確保するべく、シソコは主審の警告を受けてもなお、一秒でも長くピッチの中に残り続けました。
スペイン国籍のFWジョレンテが替わって投入されることを、日本のコメンテーターは驚きをもって伝えました。
ともすると、全くキャラクターの異なる選手の登場により、試合の流れがホームチームに傾くのではないか。その可能性を視聴者に連想させる調子の、実況という記号。
この試合最初の第四審の出番が、ポチェッティーノの期待していたものとは違ったことは間違いないでしょう。
しかし、試合に登録可能なメンバーが18名であり、スタート11名のポジションを残りの7名でカバーしなければならない事は、彼ももちろん予め理解しています。その18名で、混乱なく試合を進めていくためのプランを、アシスタントと共に、全てのケースを想定し、何十通りもシミュレーションしているはずです。
ですから、ジョレンテの投入も、トッテナムにとって想定内のものではあったと、私は考えます。
ご存知の通り、決勝ゴールはそのジョレンテから生まれ、試合の決着は誰も予想できなかったドラマをもって迎えました。
試合終了を示す長い笛が吹かれたあと、漸くポチェッティーノの表情が崩れました。
引き上げてゆくグアルディオラの背中と対照的に映し出されたのは、笑顔ではなく、雄たけびを上げ、スタッフと抱擁を交わす漢の姿。
その胸元には、正面からややずれ、すこしほどけそうな、すべての光を吸収するネクタイ。
終盤、いよいよ大きな身振りをもって選手を鼓舞した、彼の内なる熱いものの存在を感じました。
ピッチに立ったすべての選手が死力を尽くし、随所にワールドクラスのプレーがあったことで、シティオブマンチェスターは劇場と化しました。
戦術的に紐解くことで、この試合をより再現性をもって伝えることもできるかもしれません。
ただ、この試合をメディアを介した中継で視聴し、おそらく冷静ではいられない状態で思考を巡らせた私が抱いたのは、ポチェッティーノという人間の人生における重要な分岐点を目の当たりにした興奮でした。
この結論に至るに影響を与えたのは、世界最高峰のサッカーの技術レベルの高さであり、サッカーの規則であり、それを様々な角度から切り取り映像にする媒体であり、それらすべてを言語化し記憶可能な情報として伝えてくれる話者たちです。
なぜ私がこれほどまでにサッカーに感情を揺さぶられるのか。
それは能動的なものによるのではなく、作ってくれる、与えてくれる人がいるからなのだと思います。
サッカーというプロスポーツに関わる全ての人々へ、リスペクトをもって。