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ジャーナリストとしての第一歩は、『コンバ』(「闘争」の意味)という日刊紙で踏み出した硬派だ

閉じ込め症候群〔脳幹橋基底部の障害により、意識はありながら、眼球運動を除いて、動くことも言葉を発することもできない状態〕

閉じ込め症候群(locked-in syndrome)とは、身体動作はないが心は存在するという状態

小説『モンテクリスト伯』には、主人公に助言を与えるノワルティエ・デュ・ヴィルフォールという老人が出てきます。脳卒中の後遺症で手足も口も動かすことはできず、家族からはまったく意識がないものとみなされ、生きた目を持った死体と呼ばれています。ところが、モンテ・クリスト伯は、ノワルティエ・デュ・ヴィルフォールが瞬きでイエス・ノーの意思表示ができることを知り、宿敵であるヴィルフォール検事(ノワルティエ老人の息子)の秘密を握るのです。

生物である細菌は、血液型物質をもちます。しかしウイルスは、血液型物質を持っていないだろうと考えられます。ところが、新型コロナにおいて、O型の人は(※10〜20%低い)感染率や重症化率が他の血液型より低いことがわかってきました。一方、A型やAB型は感染率が高くなる(中略)コロナ禍で、フランスの小説家アルベール・カミュの『ペスト』が再びベストセラーになりました ※引用者加筆.

アルベール・カミュは、第二次大戦中には、地下に潜伏して新聞を編集しながらフランスのレジスタンス運動に参加していた(中略)彼は優れた活動家であったのではないかと私は感じている。

(※彼、ジャン=ドミニック・ボービーは)最初からファッション誌の編集者だったわけではなく、ジャーナリストとしての第一歩は、『コンバ』(「闘争」の意味)という日刊紙で踏み出した硬派だ。これは第二次大戦中、対独レジスタンス組織の機関誌として、カミュらによって創刊された新聞だった(中略)ジャン=ドミニック・ボービーは、世界的なファッション誌『ELLE』の、本家本元の編集長としてパリで活躍していたある日、突然、脳出血で倒れた。そうして昏睡状態に陥り、およそ二十日間生死の間をさまよった後に〈生〉の世界に戻ってきたが、その体は、完全に麻痺してしまっていた(中略)この宇宙のどこかに、僕の潜水服を開ける鍵は、あるのだろうか? 終点のない地下鉄路線は、あるのだろうか? 僕の自由を買い戻すことのできる通貨は、あるのだろうか? いや、とにかく、違うところを探してみなくてはならないのだ。ならば、僕は行こう、そこへ(中略)自分が何か言いたい時には、相手に、使用頻度順に並べ替えられたアルファベットを読み上げてもらい、表したい文字のところでまばたきをして、それを繰り返すことで単語を組み立てていく。非常に時間のかかる、原始的な方法だ。しかしその原始的な方法で、彼は本書を書いたのである。まばたきを、二十万回以上も繰り返して

この想像を絶する忍耐の末にボービーは一冊の本を完成させ、閉じ込め症候群に陥った自分が世界をどう感じているかを綴った。流麗で力強いその文章はボービー自身の体の状態とはまるで対照的である(中略)将来的には脊髄の損傷をおそらく治せるようになるだろうが、現時点ではなすすべがない。だとすれば答えはひとつだけである。まばたきではなく脳の電気信号をじかに読み取っていたらどうだっただろうか。神経回路の信号を傍受して、筋肉に何を伝えようとしているのかを探り出すことができていたら?

デュフィの絵から抜けだしてきたような、オペラ座広場(中略)僕の日常やリハビリの進み具合、これからの希望などをお伝えするために、この地下出版を行おうと思いつきました。

デュフィは、ある日「学校にはなにものも期待しえない」ことを悟った。彼は教室を出て、街の画廊に印象派やセザンヌの絵を探し求めた(中略)そのまま印象派風の仕事を続けていれば、安楽な道も開けただろうが、なにものかが彼をマティスへと駆り立てた(中略)後年、ディフィは語っている。 「私は転々と放浪し、私自身で実験することによって、自分の絵の重要な部分を発見した。そのため非難されたこともあろうが、しかし、私はつねに線を引き、一定の様式を開拓することを学んだり、分析したりするのを好んできた」。たしかに彼は、アカデミックな習作に始まり、印象派、フォーヴィスム、立体派、そしてことによるとドイツ絵画への接近も含めて、転々と歩んできたが、その大事な部分だけを吸収しながら、結局、いかなるエコールにも属さなかったし、いかなる体系をも信奉しなかった(中略)若い頃、印象派から離れたものの、ルノワールの豊かな色彩は、デュフィにとってひとつの魅惑であった(中略)パリ美術学校のアカデミックな教育に飽き足らなかったデュフィは、リュクサンブール美術館やラフィット街の画廊で初めて見た印象派の絵に驚嘆した(中略)とくにモネとピサロの影響のもとに描かれている。

マチスはデュフィに近づいてはいけないと思ってはいても、デュフィに近づいて行った・・・・・。(中略)マチスは前にはシニャックの点描派だった。しかしシャトーに来て、ドランとブラマンクを見てから、方向を変えたのだ。

狂乱ともいえるフォーヴィスムの絵画は、最初から一つの「野獣の檻」ではなく、三つのグループから成っている(中略)一つは、世紀末の異色の画家ギュスターブ・モローの門から出たマチス、マルケ、ルオー等であり、一つは、世紀の変わり目に、相ついでル・アーブルからパリへやってきたフリエス、デュフィ、ブラックの三人組であり、そして、もう一つは、セーヌ河畔のシャトー ─── かつて印象派の画家たちが限りなく愛し、マネもモネもルノワールもそこに制作の画架をすえたシャトーで、共同のアトリエをもって、熱狂的に太陽の光りに酔っていたドランとブラマンクである。

閉じこめ症候群を理解すれば、社会病質者(ソシオパス)などの隠蔽工作(集団ガスライティング)によって閉じこめられた状態を指すサイコパシーの意味が理解できるだろう。これがわからなければ、脚本、台本、小説、ノンフィクションなどを書いたり読んだりすることはできない。作品を味わうには、まず専門用語を学ぶこと。専門用語を学ぶことで、幻想(幻の下駄による網膜と脳の障害)を解きほぐすことができる。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/n527a9dea5d46

https://note.com/wandering_1234/n/n3f9f679753bc