大プリニウスのように、危険地帯へまっしぐらに向かったヤマトシジミの研究者の方々の冥福を祈ります。
私(当時、優生保護法、染色体問題に対応して30年目、集団隠蔽に取り組んで14年目)は、2011年3月14日から海外のSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)を見ていたため、六ヶ所(村)の動向を注視すべく札幌から沖縄の台湾行きフェリーターミナル前のホテルに避難していた(フェリーの予約をし続けていた)。民主党政権時、ガンを患っていた野原千代さんが(私に)声をかけてくださり、琉球大学の研究室に案内してくださった(私の運転で)。それ以外にも何度か二人でお会いする機会もいただき、多くのことを学ばせていただいた。野原さん自身、自分の置かれた状況を理解し、残された時間を治病に費やすのではなく、後世に功績を残すことに費やすという選択をした。それは研究者であるからこその選択であり、ただがんに罹患した人は、病気を治すことに専念するしかないのだと思う。私は福島原発事故直後から、退避火に追われており、被爆された方々を助けることができなかった。
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https://note.com/wandering_1234/n/nfdd72dd8b71a