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ミレーが 《種をまく人》に語らせたかったこと

「世界中をキリスト教化し、ローマ教皇に捧げる」という強い使命感を持ち、世界征服に邁進していたイエズス会士(バテレン)たちは、信長に地球儀を献上した。鋭敏な信長は地球が球体であることを即座に理解し、西洋の近代学問(モダンサイエンス)に強い関心を持つと同時にイエズス会の信仰理論の不可解さを見抜いた。強靭な精神力と明晰な頭脳、強大な軍事力と合理的精神を持った信長は日本支配を目論むイエズス会士にとって手に負えない者であり、抹殺する対象となった(中略)オルガンティーノは信長に地球儀を見せたが、これはイエズス会にとって致命的。地動説(=地球儀)を否定していたから。地球儀自体は、白人の商人や船乗りたちが密かに持っていた、航海に必要だったから

画家は、絵を描くときの「対象」と絵の「テーマ」との違いを理解している。キャンバスに描かれているのが花と花瓶だとしても。それは絵の本当のテーマではないのだ。映画製作者は、映画の「プロット(筋)」と映画の「テーマ」の違いを理解している。

宮崎駿さんがアニメをつくる時は、極端にストイックです。 好きなことをやっているから、自分に対して厳しいのです。 好きなことは言いわけができないのです───中谷彰宏氏(著書名失念)

コローの直接の流れを受けるピサロは、ドラクロワのように対立によって輝きを求めるのではなくて、近い色調による穏和さを求めるのである

当時、絵画は主題でランク付けされており、その最上位が神話画や聖書に基づく作品、歴史画であり、その下に肖像画がきて、風俗画や風景画は格の低い絵画だと考えられていた。しかしこの時代、描く側でも観る側でも、確実に風景画への関心が高まっており、それを加速させたのが、風景を中心とした魅力的な絵画を描き続けたコローだった。

ベルトとエドマは彼が好きになる。彼(※コロー)の方は、もしこれほどまでうわの空で、夢見がちなければ、きっと二人を愛したことだろう(中略)師のジョセフ・ギシャールはやむなく、ベルト・モリゾを友人の一人で、「戸外の」 画家と言われる、カミーユ・コローに預ける。実際のところ、六四歳の彼の評判は高くない。彼を真に評価しているのは友人たち、つまり、多少とも体制から外れた画家たちか、彼のイタリア風景や彼独自の緑色の使い方を賛美する新しい世代だけだ、モリゾと同じ時期に、彼女のことを知らずにピサロもまたコローの許に弟子入りしようとしている(中略)(※コローは) 洞穴にいる熊といったところだが、彼は思いやりのある、繊細な人間だ。※引用者加筆.

モリゾは、マネの仲間であり、また義妹でもあった。6年間コローに学んでいたということを別にすれば、彼女は初期の印象派グループの活動的なメンバーであった。

ミレーが亡くなったときは自分もおもい病の床にあったにもかかわらず、おくさんにお金をおくってなぐさめています。そんなコローでしたが、自分の一生は絵にささげると決めて、だれとも結婚しませんでした。

モーツァルトを理解するには、いくらかピアノがひけるのはいいことだよ。自分で風景画を描いたことがあれば、コローじいさんのえらさを理解する助けになるというものさ。───オーギュスト・ルノワール

コローには喜捨(きしゃ)のため多くの金が必要であった(中略)もっともこれは、コローが貧困な人々に金品を惜しみなく贈る癖からもきている(中略)ドーミエが失明し、家も追われることになると、彼は家を買ってやった(中略)ミレーが死ぬと、未亡人と遺児のために1万フランを贈った。

コローとドービニーはイタリア滞在の経験者であった。グループとしてのつながりはゆるやかであったが、不遇な時代には余裕のある画家が仲間を助けていた(中略)1855年の万博で成功を収めたテオドール・ルソーは、友人の尊厳を傷つけぬようこの作品を匿名購入しただけでなく、《肥料をまく男》(1854-55、ノース・カロライナ美術館)もミレーから買っている(中略)成功したルソーは、友人ミレーを支援した。ミレーにコレクターを紹介しただけではなく、米国人を装って作品まで購入している。

ある晩ミレーは、ドゥフォルジュ画廊のガラス窓の前で二人の若者が彼の《浴女たち》の絵を眺めているのを目撃した。一人が言う。 「この絵の画家を知っている?」もう一人が答える。「うん、裸の女しか描かないミレーという画家だ」(中略)この会話が彼の心に突き刺さった。そして彼は、これからは決して裸体画は描くまいと誓った。自尊心がそれを許さなかったのである(中略)彼は自宅にもどると、先ほど聞いたことを妻に話し、こう語った。「もしお前さえよければ、私はもうこの手の絵は描くまいと思う。生活はもっと苦しくなるだろうし、お前も大変だろう。けれども、そうすれば私は、これからずっと、自由に、心に思うものだけを描けるのだ」(中略)ミレー夫人はこう答える。「覚悟はできています。お考え通りなさいませ」(中略)この時からミレーは、様々な制約や勤めから解き放たれ、意を決して田園をテーマにした芸術に専心するのだった(中略)(※その後)ミレーは二千フランという大金を得た。彼はこの宝をなにに使ったのだろうか。部屋の改装だろうか、あるいは資本家のような安楽な生活を味わったのだろうか? 否である(中略)権力に反発するジャーナリストたちが、自分の本業で闘っている間に、ミレーは田園をテーマにした別の作品に取り組んでいた(中略)彼はよくこう語った。「芸術は命がけだよ」(中略)ミレーはその時代の先端的なエコロジー思想を持っていた。一八五三年には、フォンテーヌブローの森を針葉樹林化して開発する事業に反対し、ルソーとともに立ち上がり、ナポレオン三世の皇后ウジェニーに直訴状を送る。その結果、一帯を美観区域に指定させて森を守ったという実績を持っているのだ。この功あって一八八四年、二人の画家の記念碑が森の入り口に立てられた(中略)ミレーが 《種をまく人》に語らせたかったことは?(中略)もしも現代にミレーがいたら、きっと故郷の近くの断崖にそびえる原発と再処理工場に反対しただろう(中略)ミレーの風景画は、単に美観によって鑑賞者の目を和ませるだけではない。それは画家の強い自己の投影であって、その紙背には人間は自然とどうつきあうべきかという設問が常に隠されている ※引用者加筆.

私は書くことには慣れておらず、書き方も心得ていないので、言うべきことを抜かしてしまったり、意味が不明瞭になっていることもあると思う。それ故、どうか字義通りに解さず、私が言いたかったことを見抜いていただきたい。当初述べておこうと思ったことも、いざ書くに当たってはうまく煮詰まらない。そんな大した原稿ではない。しかしながら私は、ここに立ち返り、慌てずに物事をすすめるよう努力したいと思う(中略)猿マネをするだけなら、全力で走る必要はない。揺り動かされるものがないからである。要するに、天才というものは、自然の豊かさの中から、自分に許されるだけの分け前を切り取って、気づくことも見つけることも、ましてや切り取ることもできない人々に、その分け前を与える使命を持っているのである(中略)天才は自然の言語を解さない人々に対し、通訳としての役割を果たさなくてはならない。パリッシーのように、天才はこう言うであろう。 「私の部屋にあるそれらのものを見てごらん。我々がそうしたように君もそれに夢中になるなら、君の能力に応じて持ち帰ることができるだろう。ただ、情熱的な知性が必要だがね」(中略)目に見えないものを表現するためには、実際に目に見えるものの様態を克明に観察しなくてはならない。それができないのなら、物質世界における虚構の域を超えることはできないだろうし、孤高の真実も表現することはできない。自らの方法を統御し得た時に、初めてものが見えてくるものである(中略)至上の目的に到達しようとしている時は、最上の知性がその源から見つけてきたものを常に提示する必要がある。 というのも、パリッシーが述べているように、彼ら最上の知性の持ち主は、「あらゆる困難をもかえりみず、源の奥深くまで」潜り込んで行くからである。しかし彼らは、その場では人々の模範にはなり得ない。むしろ彼らが創り出したものは、来るべき将来の範となり、目標となるべきものなのである・・・・・・。天才は魔法の杖のようなものを持っている。彼らは自らの勘に従って、自然の中やその他の所から、あれこれと様々なものを見つける。

種蒔く人はキリストである

「落ち穂拾い」とは 「作物を刈り取るときは、全て刈り取らず最も貧しい人々のために落ち穂を残しておかなければならない」というキリスト教上の教えである(中略)画家が、この構図を決定するまでに、100枚以上の習作を描いて、その効果を研究した事が知られている

フランスで 「サラセン人の麦」または 「黒麦」とも呼ばれる「蕎麦」(中略)今でもガレットやクッキーの素材に使うが、当時は寒冷地でも土壌が痩せていてもなんとか育つ、飢饉に強い雑穀として栽培されていた(中略)ミレーは父の没後は年少の兄弟七人と母と祖母を養わなければならない農家の家長であったにもかかわらず、その責任をいわば放棄して、画家になるためにノルマンディーの故郷を離れたのだ。その慚愧の念は、重くミレーの絵に圧しかかっている(中略)実家に戻って農家を再興できない宿命の画家としては、自らの絵で決着をつけるしかない(中略)ミレーがパリに出るのに際しては、彼の実家が全く犠牲になった(中略)祖母や母は、家の没落を知りながら、貯金をはたいて彼の才能に掛けた(中略)ミレーは親孝行どころか、一家を離散に導いた張本人であった

ミレーの「種蒔く人」が蒔いている種は、爆撃機の焼夷弾という形で戦争を揶揄、また農民を力強く描いた(タブーに挑んだ)。ミレーの思想に影響を受けた画家たちはミレー学校の生徒と呼ばれ、ミレー派の学生の代表がゴッホ、ピサロ、セガンティーニである。私はセガンティーニの作風が最もミレーに近いと思う。映画『君たちはどう生きるか』のハイライトであり、息を呑むシーンは、産屋の幕の色を見るとき(色彩を感じる瞬間)だ。

関連リンク↓

https://note.com/wandering_1234/n/nccf4846dd61d

https://note.com/wandering_1234/n/nde8e65dfe60c