Attention(注意) ID学 vol.5
ARCSモデルのAはAttention(注意)で、学習者の注意を喚起、持続させる、要するに「面白そうだな」と思わせる仕掛けがここに分類される。
好奇心をかき立てる
好奇心の概念的基盤から入るのです。日本語教育から心理学の領域に踏み込むわけだから、よくわからない(とはいえ日本語教育を勉強していると多々心理学にぶちあたる)。
【好奇心の心理学的研究】
・動因理論(drive theory)
・不適合理論(incongruity theory)
・能力の概念(competence)
ほーっと思ったのは、動因理論的にみると好奇心は「不安・不快感をなくそうとする心の動き」であるというところ。好奇心と不安、好奇心と不快感ってまったく結びつかない気がする。でも、たとえば後ろがチクチクする、何だろうと振り返るのは不快感からくる好奇心。カギ閉めたかしらと家まで戻って確認するのは不安からくる好奇心と考えれば、なるほど、心理学的にはそういう考え方をするのか、ほーっと思った(違うかもしれないけど深追いする気なし)。さらに、動因理論では知覚的好奇心と知的好奇心にわけられていて、知覚的好奇心というのは「後ろがチクチク」みたいな知覚に伴う好奇心で、情報が確定され次第(チクチクの原因が分かり次第)減退、知的好奇心とは新しいものや予期しないものに対する「なんで?」という好奇心で、答えが得られ次第減退。いずれにしろ好奇心は減退するのだ。
不適合理論は、矛盾を解消したいという欲求からくる好奇心ということで、動因理論との違いがあまりよくわからないので、深追いせず。能力の概念をベースにした理論は有能でありたい、達成したいという欲求が好奇心を引き起こすという考え方で、好奇心は動因ではなく動機から生まれるという。
好奇心との相関
子どもの好奇心が成長するにつれて弱まるという現象に学校が加担しているのではなんて衝撃的。たしかに、学校では学年が上がるにつれて理解度は重要視されるけど、好奇心とは無縁だった気がする。では、構成主義的な教育や課題解決型教育を行っている機関では果たしてどうなのか、という話。おもしろい。
また、動因理論に立脚すると、高い好奇心により意図的学習の効果は上がるが、偶発的学習は起こりにくい(不安感が無関係なものを排除するから)となるんだけど、どちらにも効果があるという結果が出たりして否定されておりまして、ここから、好奇心は動因(不安・不快感)に誘発される側面と、動機(コンピテンス?)に誘発される側面があるかもしれないと考えられるそうです。
さらに、好奇心と正の相関にあるのは曖昧さに対する寛容性や信頼・自由感・所属感、負の相関にあるのは知覚的剛性や不安感だそうです。不安感って、好奇心のもとになるやつじゃなく、教師の威圧的な態度や、こんなんやってて大丈夫なの?到達できんの?ていうカリキュラムとか、学習対象の外側にあるやつ。やっぱり学習環境も大切ってことですね。
退屈
退屈の要因は
・低い覚醒(教師の眠くなるような話し方)
・高い拘束(終了ベルが鳴るまで座っていることを強制される)
・高い不愉快(興味のない講義)
・高い反復(冗長な授業内容)
( )は本の中の例。はじめの3つが退屈と最も関係が深いらしいけど、でも好奇心は拡散的探査(Berlyne)から引き起こされるということもあって、それは単調性や退屈から引き起こされるんだけど、新しいものや面白いものを何でもいいから探すというもので、実はこの好奇心は減退しないっていうんだよね。だから、退屈な授業から何か生まれるかも!
Attentionの方略
ということで、ここまで「知覚」「知的」「退屈」などのキーワードが出てきたと思うんだけど、そのへんとAttention(注意)の下位分類が重なる。
ただ、どこかでだれかが言っていたけど、教師って「注意」に関しては工夫しがちだって。ということで、けっこうやってるよ!てものが多い。抽象的より具体的とか、文章提示よりリスト提示とか、問題含みの導入とか、見やすいわかりやすいレイアウトとか。一方で、情報のかたまりをさまざまな方法で配置する(見にくくしろってこと?)とか、授業の順序に変化をもたせるとか、わたしとしては避けていることもあった。
方略に関しては、こっちのほうが参考になる。