生成AIアプリ開発におけるオブザーバビリティとは?
オブザーバビリティとは
W&Bの山本です。近年、生成AIを活用するケースが増加し、本格的に生成AIアプリケーションを導入する取り組みについて耳にする機会が増えてきました。しかし、実際にプロジェクトを進めていると、複雑なチェインを構成し、レイテンシーが大きくかつ確率的な挙動を含む生成AIアプリケーション開発において性能改善やデバッグに苦労する声が多く聞かれます。また、開発段階ではモデルの応答品質を評価しきれずに見落としていた問題が運用段階で突如表面化したり、ユーザーからの問い合わせが増えるにつれて特定のトピックで誤回答が多発したりと、事前のテストだけでは十分に対処しきれない局面が少なくありません。こうしたトラブルを早期に捉えて原因を特定し、対策を講じるために注目されているのがオブザーバビリティの概念です。モデルの内部状態や入力から出力に至るまでのプロセスを可視化し、問題の発生要因をあぶり出す仕組みを整えることで、開発段階から運用段階までの品質管理を一貫して支えられるようになります。
生成AIアプリケーションにおけるオブザーバビリティ
オブザーバビリティは元々はクラウドアプリケーションの領域で用いられていた概念で、一般的なソフトウェア開発においては、CPU使用率やメモリ使用量、HTTPリクエスト数などの指標をモニタリングし、何らかの不具合が起きたときの分析材料とするのが通例です。また、ログやメトリクス、トレースといった三大要素を軸に、不具合が起きた際のフローを可視化して原因追跡を行います。しかし、生成AIアプリケーションはそれだけではカバーしきれない特有の性質や観点を含んでいます。大規模言語モデルは非決定論的な性質を持ち、同じプロンプトに対しても異なる回答を返しうるため、そのモデルが具体的にどのようなプロンプトや文脈からどのような過程を経て、生成内容を導き出しているのかを、より踏み込んで把握する必要があります。さらにRAGなどを組み合わせた複雑なフローを構築している場合には、リトリーバルの精度や関連スコアがモデルの最終的な回答品質に直接影響するため、中間ステップも把握・評価すると同時に各ステップを結びつけてトレースする仕組みが欠かせません。このように、応答テキストがいつ、どんな根拠を用いて生成されたのかを一貫して追跡できるようにすることが、オブザーバビリティを高いレベルで実現するための鍵になります。
以下は、LLMオブザーバビリティの典型的な構成と各要素が受け持つ機能を示していますが、従来のオブザーバビリティの概念をLLM領域に合わせて応用していると同時に、この領域特有の拡張もされていることがわかります。
LLMオブザーバビリティは生成AIアプリケーションの開発と運用のいずれにおいても非常に重要な役割を果たしますが、共通するポイントとそれぞれのステップで特に注意すべきポイントの両方を含みます。それでは、開発と運用の各段階におけるLLMオブザーバビリティについてみていきましょう。
開発段階での評価とオブザーバビリティ
開発段階では、まずアプリケーションの構成要素を構造的に把握し、各要素がどのように相互作用して最終的な回答を生み出しているのかを正確に管理できるようにすることが重要です。使用するモデル名を記録するだけではなく、システムプロンプト、RAGの設定、外部API連携の部分なども含め、細かなバージョン管理と変更履歴の把握が求められます。システムプロンプトを少し書き換えただけで応答傾向が大きく変わるといった事例は決して珍しくなく、そうした微細な変更の影響度を後から検証したいと思っても、どのタイミングで何を変えたのかを追跡に適した形で記録できていないと、原因特定に多大な時間を費やしてしまいます。そこで生成AIアプリケーションのシステム全体のバージョン管理に加えて、プロンプトやRAGの設定を、「いつどの部分を改変し、それが最終応答にどう影響したのか」を一気通貫で振り返られるようにしておくと、無駄なトライ&エラーを削減できるでしょう。
さらに生成AIアプリケーション自体の構成に加えて、その入出力もトレースしていく必要があります。また、単純に個々の入出力を記録に残すだけでなく、それらが相互にどのような関係にあるのかを含めてトレースツリーとして記録します。もっともシンプルな例としては、QAシステムのおける質問内容と、RAGにおけるリトリーバルの内容や関連スコア、最終的に生成された回答を紐づけて記録するケースが挙げられます。さらに、今後複数のAIエージェントが協働しながらタスクを解いていくようなケースが増えてくれば、その過程も記録していくこともトレーサビリティの観点から必要になってくるでしょう。
開発段階で実施するモデル評価とその可視化もLLMオブザーバビリティの重要なポイントです。LLM評価においては、定量的な指標の追跡と定性的な性能確認をバランスよく組み合わせる必要があります。従来の深層学習モデルでは、ベンチマークデータに対してAccuracyやF値、BLEUスコアなどの数値を算出し、それをもとにモデルの性能を判断することが多かったのですが、LLMの場合は生成タスクならではのハルシネーション(確信度が高そうに見える誤回答)や、安全性を欠いた不適切表現など、単なるスコアだけでは評価しきれない要素が数多く存在します。そこでオブザーバビリティ製品を用いてモデルの応答ログを一括で可視化し、実際にどのような質問やプロンプトに対して誤回答や不適切表現が生じているのかを手動評価と組み合わせて詳細に洗い出すと、一見すると数値には表れないリスクの発見がしやすくなります。さらに応答プロセスの途中経過(リトリーバルの結果や中間的な生成内容)を把握し、そこにおける関連スコアや検索キーワードを観察することで、ハルシネーションがどの時点で注入されているのかを突き止めやすくなるのもメリットです。
本番適用後の評価とオブザーバビリティ
本番環境に移行すると、ユーザーからの問い合わせが日々蓄積され、その中身も開発中には想定していなかった長文の質問や新たなドメインの話題が増えていくでしょう。モデル自体のカットオフデイトの問題も出てきます。こうした質問にモデルが対応しきれずに誤回答を返したり、全く関係ない文脈に対して回答を生成してしまったりするケースが出てくると、ユーザー体験やサービスの信頼性が損なわれてしまいます。そこで、運用段階では実運用データを用いた包括的なモニタリングが必要になります。本番適用後のLLMオブザーバビリティにおいては、日々の質問内容と中間状態を含むモデルの応答内容を紐づけて保存し、応答が不正確だった場合にはどういったプロセスで誤りが混入したのかを迅速に追えるようにしていきます。リトリーバルの精度が低かったのか、あるいはモデル自体が特定のトピック知識をカバーしていなかったのかなど、原因を分析する際にも、単なるログの羅列ではなく、一元化された可視化環境があると理解が格段に進みます。
もちろん、単に常時モニタリングして異常を検知し、記録に残すだけでなく、改善へのサイクルを回す仕組みを構築することも同時に大切です。モデルの入力と出力、途中の推論プロセス、ユーザーからの評価を一体として管理できるオブザーバビリティがあると、本番運用中のデータを即座に開発にフィードバックしながらモデルを調整し、プロンプトやRAGの設定を微修正するといった作業をスピーディに進められます。モデルのバージョンごとの差異を比較検証し、新バージョンがユーザー体験を向上させているかどうかを定量的に把握する上でも、一元的なモニタリングと可視化基盤は欠かせません。突発的なトラブルや不具合への初動も早くなり、緊急時の原因分析を行う際には、どの入力からどんな応答が生成されたのかを時系列で振り返るだけで相当量のヒントが得られます。
今回ご紹介したように、開発段階ではアプリケーションの基礎的な性能を引き上げることに主眼が置かれ、丁寧な評価指標の設計やプロンプトのバージョン管理が重要となります。一方で本番運用では、ユーザーの行動とフィードバックを通じてモデルの性能を持続的に観察することが求められます。これは、生成AIは従来のAIと異なり、開発者が予期しない質問の入力や回答の出力がありえること、出力結果の良し悪しの判断に主観的な側面が含まれるためです。その両面を統合し、生成AIアプリケーションのライフサイクル全体での変化を見落とさずに捉えるためには、開発と運用の情報をシームレスにつなぎ、常時モニタリング可能な仕組みをいかに作るかが大きな分岐点になります。LLMオブザーバビリティは、こうした観点でのデータ収集と可視化を支援し、開発チームと運用チームの間のコミュニケーションコストを削減すると同時に、アプリケーションの品質向上に欠かせない洞察をリアルタイムで提供します。
さらに今後は、より多くの企業が自律性の高いエージェントを導入していく流れが予想されています。モデルが外部のAPIやデータソースと連動する場面も増え、推論プロセスの途中で複数の判断を下すケースが当たり前になるかもしれません。そうした次世代のアプリケーションでは、モデルの判断がどこで誤っていたのかや、外部情報の取得がうまく行われなかったのかなど、従来以上に細やかな可視化とトレースが重要になるでしょう。オブザーバビリティをいち早く確立しておくことは、こうした新たな局面にも柔軟に対応できる開発体制を築くうえで、大きなアドバンテージになります。
以上、生成AIアプリケーションのためのオブザーバビリティについて、開発段階と本番運用の観点を中心にご紹介しました。
[参考文献]
オブザーバビリティ・エンジニアリング, Charity Majors、Liz Fong-Jones、George Miranda 著、大谷 和紀、山口 能迪 訳
俺たちと探究するLLMアプリケーションのオブザーバビリティ, 〆のラーメンまである倶楽部, 技術書典17