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引き寄せられて、また新たに一歩を踏み出す
2〜3年前、30年ほど通っていた眼科クリニックが閉院したのにともない、新たに診てもらうことにしたクリニックが寺中町にあることから始まったように思えるのは、金石街道(金沢市中心部から港町金石地区を結ぶ県道)が生活圏になりつつあること。
前に入居していたビルが取り壊しになることから同じ頃に同街道沿い松村のビルに引っ越した先輩の会社とは昨年から取り引きが始まり、一緒にプロモーション営業の活動をしている東京のブランディング会社社長の高校の同級生が金沢に来た時に身を寄せるのも松村だ。
金石街道とJR金沢駅との間には30年近い付き合いの一番好きな飲食店があり、金沢西病院隣りには中国料理店勤務時代の同僚でG社長の従弟が営む好きな中華料理店が、街道終点の白銀交差点手前を少し入った本町にはビジネスの師匠がいるお粥屋、そして武蔵交差点まで範囲を広げるとその近くには一番古い付き合いになる串焼き屋が暖簾を守り、別院通り出口には知人の焼肉屋が盛況を呈している。
一方で、能登半島地震で被災して金沢での生活を余儀なくされている2人の輪島の知人が藤江にいらっしゃることが最近分かった。
これまで、金沢のパーソナルスペースは親戚が山科にいて、高校の3年間は窪に通い、大阪の大学を卒業して就職した会社は鱗町~笠舞~泉野出と転移し、その間の5年間ほどは有松と横川で独り住まいをするなど、南金沢が中心だった。そしてその時代は、やはりこれまでの人生で最も充実していたときだった。
僕は独身だけど本人公認で心の妻と呼べる女性がいる。
ひと回り以上年下であるものの、様々な人生経験で培ったビジネスセンスに一目置く存在でもある。そんな彼女とたまにお茶をすることがあり、仕事のことや今の心境などを話すと、その度にいろんな気づきをもらっている。
先日、金石街道の件を彼女に話した。
すると「引き寄せられているんじゃないの、何かの力で」とさらりと言う。そして「充実していた南金沢はきっとあなたと波動が合ったのよ」と続けたあと、「いま住んでるところにはどんな印象を持っているの」と聞かれる。
いくつかの会社勤めを経て、自宅をオフィスにして独立して10年近く経つ。改めてその年月を振り返ると、「この町にいても何もいいことはないよ」とすんなり言葉が出てきた。
「やっぱりね。そうだと思ってたわ。住んでるところとあなたの仕事は合わないのよ。だから、金石街道に導かれたのよ」。
「はっ」とした。
著名な経営コンサルタントとして知られる大前研一氏の言葉を即座に思い出したからだ。大前氏は人間が変わる方法は次の3つしかないという。
1.時間配分を変える。
2.住む場所を変える。
3.つきあう人を変える。
1、3はともかく、2についていえば、いきなり住むところを変えるのは難しいけど、生活の土台となる仕事の場所を変えればいいのだと気づき、彼女の真意がとても心に響いた。
上に記した彼女とのやり取りは今年に入ってからのものだ。
そうこうしていると、今月、新しい取引先が金石街道沿いに爆誕した。これから当分は、この会社での仕事が収入の多くを占めることになると思う。
新卒で入った金沢の出版社兼広告代理店の創業者であり社長、会長を務めた尊敬するHさんが常々口にしていたのは、再び一歩を踏み出すことをあきらめない、こと。
金沢に新しい生活圏が生まれつつあるいま、改めてこの言葉を胸に刻み、数え切れないほどになってしまった新たな一歩を、また踏み出します。