「君たちはどう生きるか」感想②
前回感想を出したが、どっちかというとあらすじ書いて終わりだったので、新たに言語化できた感想を書いていく。
そう、言語化できたのだ、アレを
あの作品は賛否ある。当然だ。あれはエンターテイメントではない。エンターテイメントとして見れる部分もある怪文書映像だ
シン・仮面ライダーと同じ、スクリーンから監督が現れて観客をリンチするタイプの映画だ。終わり方もシン・ウルトラマンっぽい後奏のないブツ切りエンドで影響チョットあるのか?と思った
シン・仮面ライダーは始まった途端サイクロン号に乗った庵野に轢き飛ばされ、その後も延々とラーダーベルトをつけた庵野という狂人に「ライダーキックはこう!!!!ライダーパンチはこう!!!!」と言われながら殴る蹴るの暴行を受け続ける恐怖の映画だが、君たちはどう生きるかもこの類であることは間違いない
スクリーンから現れた「外なる神・ハヤオ」が2時間ぶっ続けで観客を凝視してくる常人には耐えられないコズミックホラー超大作、それが君たちはどう生きるかだ。
はっきりと思った、というか新たに確信し直した事がある。天才がフィルターなしに表現を大衆にぶつけてはいけないという事だ
クリエイターという輩は大なり小なり頭がおかしいとおれは思ってる。クリエイトとゆう行為はマトモな人間にはできないからだ。例えば漫画、「話を考え、人物を動かし、絵に投影して、下書きから30数pに渡り描き上げるというのを週一・月一のペースで繰り返す」という行為はマトモな人間にはできない。その辺のサラリマン10人攫ってきてこの行為を半年も続けさせたら9人は発狂して残りの一人は鬱になるだろう。
アニメもそうだ。指示に沿った一定以上水準の似たような絵をベトナム実習生みたいな給料で何十枚と書く作業を常人にやらせると死ぬ。
アニメ監督で、しかも手前で絵まで描くという輩は頭一つ抜けて頭おかしいのは言うまでもない。クリエイターとしては最凡人の宮崎ゴローですら一般人からしたら狂人の範疇なんだ。
そして、そんな業界の最前線で活躍するとか、業界そのものを牽引とかするようなクリエイターというのは「化け物から見た化け物」なのである
一般人からしたら化け物の聖闘士からしたら化け物の黄金聖闘士からしたら化け物のアテナとかハーデスとか、そのクラスなんだよ宮崎駿ってのは
宮崎駿とか庵野秀明ってのはそういう輩なんだ。本来黄金聖闘士ですら片手で捻り潰せるような力の持ち主が、フルパワーで一般人をぶん殴ったのがシン・仮面ライダーと、この作品だ。塵も残らん
本来こうゆうパワーは担当編集とかプロデューサーが盾になって減衰させる。「大衆に受けるよう解像度を落としエンタメで希釈しろ」と手綱を握るのだ。でなければNARUTOとかは獣人が存在して設定がとっ散らかって分かりにくくなっていたし、炭治郎も隻腕隻眼のガッツみたいな凄惨なビジュアルで読者がドン引きしていた。
天才の尖りまくった感性を受け止めきれるほど人間の脳は丈夫に出来ていない。だから大衆が飲み込みやすいように勧善懲悪とかボーイミーツガールとかスカッと展開みたいなポルノで包む必要がある。君生きも鈴木Pが「こんなもん一般に向けて流すな」とハヤオを一度でもぶん殴ってればもっと見やすい作品になっていたのは間違いない
君たちはどう生きるか。それは精製前の蒟蒻芋であり、漬ける前の生梅であり、ハイターの原液であり、米津玄師前の平沢進なのだ。
もう一度言う。天才が「大衆目線」という拘束具なしに客を殴ってはいけない。SMで刑罰用の鞭を使ってはいけないのと同じだ(刑罰用の鞭は撃たれると肉や皮が千切れ飛ぶ)。観客は心地よく殴られに来ている、バールで襲い掛かってくるんじゃないハヤオ
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