【イナワシロ・リゾートベイ、ホテルニューナンブ:ナインティナイン】
創業51年の由緒あるホテルを貸し切って今宵行われるのは、財界のドン、イシワ・ダンガンの還暦祝いセレモニーである。大物タレント芸人、有名小説家、世界的ヴァイオリニスト、衆議院議員、副市長、企業BIP、果てはヤクザオヤブンに至るまで、様々な有力者たちが集う。それは巨大な王冠めいたニューナンブを彩り飾る、まさに宝石の一粒であった。
ロビーホールでヴィーガンオカキを頬張るこの男、ヒキデ・ヒナセもその一人である。TIベンチャー企業を起して3年、飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続ける。年収は今年初めて億に届く試算だ。この間にもタブレット端末を用いASAPで商談を纏めた
「……オ」タブレットから目を上げると、バイオリンケースを持った黒いドレス姿の女性が目に留まった。見惚れた。もしかしたら一目ぼれかもしれない。周囲の何人かもそうであることに気付いた。ならばASAPで声をかけ優位性を確保すべし。色恋もビズも、速さが命だ。
「バイオリニストの方ですか?ジロー・キオジュ氏以外にも演奏家が来ていたとは、よろしければお名前を」「ナイティナイン」「ドーモ、ナイティナインさん、僕はヒキデ・ヒナセといいます。バイオリン、好きなんですよねぇ、今日はどちらからお越しで?」「ハケンですよ」「ハケン?オーケストラの方でしょうか」「よく喋るねアンタ」「ああ!コレは失礼!」
ヒキデは困り顔で破顔してみせた。ナイティナインと名乗る女はホールのソファにどっかり腰を下ろすと、かったるい手つきでタバコを咥え火をつけた。容姿の端麗さからは想像もつかない粗野な動きであった。「禁煙ですよ?」「そーなんだ」ナイティナインは紫煙を吐くと観葉植物の鉢に灰を落とした。
咎める者はいない。今日ここに居るのは「一流」の者だけ、一癖二癖あって当然なのだ。個人のスタイルに口を出していいのは「超一流」だけ、敢えて咎めるような無粋を犯す者は「格」が知れ、本人だけが知らない場所で恥をかくこととなる。
「アンタさ」「なんでしょう?」「ブブツケ・マシモっての知ってる?」「…あー、マシモグループの、知らない方がおかしいでしょう、この頃大分羽振りがいいですからね、あの会社は」あまりいい評判は聞かない。「今日まだ来てないんでしょ?いつ頃来るかな?」「アー…本セレモニーはこの後7時からだから、間もなくでは?30分前行動がビジネスの基本です」「ビジネスなの?コレ」「おっと、かないませんねぇ」
その時、クボ・ブランド製スーツを着た中年の男が二人に近づいてきた。
「おい、ここは禁煙じゃないのかね?」鋭い目つきに侮蔑の態度を隠そうとしない。胸元にはマシモ社章純金バッヂが輝いている「アッ!噂をすれば!マシモさんでいらっしゃいますね!」「ドーモ。キミは」「ヒキデと申します。以後お見知りおきを」ヒキデは完璧な所作でメイシを差し出した「ウム」メイシ交換だ。この作法が正確に出来るか否かで、ビジネスパーソンの格が判断されるのである。
ナイティナインは紫煙を吐きながら言った、「そのメーシ、アタシにも頂戴よ」ナムサン!メイシはまず自分から差し出す物であり、相手のメイシを強請るなど言語道断のマナー違反である!「エ?」「何」困惑するヒキデ、そしてマシモの侮蔑が確信的なものとなった!「ルールやマナーを守れない者は例えどんな身なりをしていても屑だ。お嬢ちゃん、ちょっと勉強してきたほうが良いね?」ナインティナインは膨れ上がる緊張感にしばし硬直したヒキデの手からマシモのメイシをひったくると、名前を検め、頷きながら煙草を握り潰した
「キミのお連れさんは大分個性的な方だな、ヒキデさん」マシモはヒキデのメイシをポケットにしまった。通常メイシケースにしまうのがマナーだ、明らかな軽蔑の意思表示である。「ああ、スミマセン、慣れないもので…」ヒキデがナインティナインに目をやると、バイオリンケースを開けるところだった((……ここで演奏を?今?))
ナインティナインはバイオリンケースから50センチを超える重厚な
モーゼル銃を取り出すと
当たり前のようにマシモに向けて引き金を引いた
ZDDOOOOOOOMM!!!!!!!
その銃撃、否、砲撃でホール外周の窓ガラスは真っ白にひび割れ、ヒキデの両鼓膜は破裂し、マシモの上半身は霧散し、背後の創業者銅像がザクロめいて炸裂した。
「「「「ウワアァアァアァアアアア!!」」」」ロビーホールはインフェルノ地獄と化した
「任務オーライ」ナインティナインは二本目のタバコに銃口を押し当て火をつけると、パニックのロビーを悠々と歩いた。エントランスから銃武装した警備が3人走ってくる「止まれ!」ZDDOOOOOOOMM!!!!!!!エントランスは吹き抜けになった
血で塗りなおされたエントランスを抜けると、夜風が彼女の艶やかな髪をなでた。「河の~向こうまで~ンン~」ダイナマイト式99口径幻魔モーゼル銃の銃身を夜風で冷ましながらナインティナインは歌った。ふと、バイオリンケースにメイシが挟まっていることに気付く
[コイキナシステム社:代表取締役ヒキデ・ヒナセ]
「虚無の~音が~ンン~」
この世の終わりめいた大騒ぎを背に、ナインティナインの向かう夜闇は静かだった