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わもんで最も「なかま」を大事にしているカントリーコネクター|キム

わもんを学ぶ仲間の中で、もっとも「みんな」という言葉を口にするのが、今回の取材対象の「キム」です。イベントや講座で会った時でも「みんな」という言葉を口にして、誰一人脱落させないという思いが伝わってくる人です。

時には仲間のために長野から福井まで車を走らせて、一緒に東尋坊から叫んだり、聖地巡礼と銘打った旅で、仲間とパワースポットを巡ったりしています。毎日のようにライブ配信で仲間を励まし、人と人とをつなげようとしてくれるキム。

わもん創始者であるやぶちゃんからは「やぶはら一門」の後継者として指名されています。またカントリーコネクターとして、国と国とを結びつけるという魂の目標を持っています。

そんなキムはどんな少年時代をすごし、どのようにわもんと出会ったのでしょうか。お話を伺いました。

とにかく偉そうだった少年時代

仲間のために率先して行動するキムの少年時代は、今とは違ってすごく偉そうな性格だったそうです。

「東京で生まれて、横浜で育ちました。子どものころは何かあれば偉そうに発言して、クラスを仕切りたがっていましたね(キム)」

今のキムを見ると、偉そうだと感じることはほとんどありません。それだけに意外な少年時代です。その時代にはどんな人間になりたいと思っていたのでしょうか。

「スキーのジャンプの選手を見てかっこいいとか、料理人を見て楽しそうだと思っていたことはあったけど、絶対的にこれになりたいとか、あれがしたいという思いはありませんでした(キム)」

人の夢や目標を全力で応援する今の姿からは想像できないですね。

「ノーベル平和賞がどうやったら取れるのだろうと思ったことはあったけど、世の中を良くしたいとか、平和になったらいいなとかは考えた事はなかったですね(キム)」

「みんな」という言葉を大事に使い、世の中をよくするために行動しているキムも、子どものころは別人のようです。

やりたいことは見つからないなか、辿り着いた「いい人になりたい」という思い

大学受験でも、特に進みたい道があったわけではないキム。やりたくない教科を消去していった結果、理系の道に進むことになります。

「将来のことは全く考えていなくて、小学生が自然と中学校に進学するくらいのノリで大学を選びました(キム)」

そんな気持ちで入学した大学も、やりたいわけではないから続きません。中退することになり、それからしばらくは働きもせず、ゲームばかりの日常を過ごします。

「ゲームばかりして、親からは働くように言われていました。それでも仕事を探すこともなく、ふらふら過ごす日々。一度、競馬記者になろうと思って新聞社に電話したけど、大卒ではないと無理だといわれてあきらめました(キム)」

やりたいことが見つからないキムの転機は、一冊の本がきっかけとなり訪れます。

「三浦綾子さんが書いた小説『塩狩峠』を読んだとき、自分の命を犠牲にしてほかの人の命を救った主人公に感動した。それがきっかけに『いい人になりたい』と思うようになりました(キム)」

その後、飲食店で働き始めたキムに、二つ目の転機が訪れるのです。

「夜な夜なネットサーフィンをしていたときに、たまたまセラピスト養成講座の案内を目にしたんです。これがやりたかったことだと思い、すぐに講座を申し込みました。仕事も辞めてセラピストとして独立しようと思ったものの、部屋が見つからなくて断念することになりました(キム)」

独立は断念したものの、これまで頑張ってきた自分をねぎらおうとキムは旅に出ます。沖縄など聖地と呼ばれる場所を巡った結果、とある気持ちに気づくのです。

「世の中をよくしたいという気持ちに気が付きました(キム)」

てんつくまんとの出会いで人生が一変

その頃、てんつくまんと出会ったキムは、彼の口癖の影響を受けて、カンボジアに行くことになります。

「てんつくまんはよく『動けば変わる』と口にしていました。その影響もあり、カンボジアにて一緒に支援をすることになりました。そこで、竹炭を作ればカンボジアの人に喜ばれると知って、竹炭職人になることを決意しました(キム)」

そうはいっても竹炭ですぐに生活が成立するわけではありません。ご縁のあった小豆島に移り住んだものの、最初は極貧生活を送ることになります。

「小豆島ではそうめんが作られているので、その切れ端をもらったり、パンの耳や近所の人に野菜をもらったりして食いつないでしまいた(キム)」

1年ほど、そんな生活をしていたキムはとあることに気づきます。

「人との出会いはあったのですが、その度に『竹炭は儲からない』と答えていました。ただ、それって儲からないのを竹炭のせいにしていると気づき、ダサイなって思ったんです。それで、竹炭で稼ぐと覚悟したら、急に注文が入るようになっていったんです(キム)」

覚悟を決めたことで、キムの動きは大きく変わります。

「竹炭の小冊子を作って配ったり、講演会に行って主催者に頼んで宣伝をさせてもらったりしていました。人前で話すのは苦手だったけど、絶対食えるようになるぞと思ったら、苦手も克服できていました(キム)」

その後、紆余曲折があって長野に移住します。

「農家民宿をやろうとして、企業とタイアップして古民家をリフォームしました。800万円かかったんですが、そのタイミングで悪い噂が流されて、反対運動が起こります。スポンサーも手を引いたので、800万円の借金だけが残ってしまったんです(キム)」

稼げるものであれば何でもやろうと開き直ったキムに、助けの手が差し伸べられます。

「植木屋さんから『うちで働くならお金を貸す』と言われて、目先の支払いはなんとかなったんです(キム)」

捨てる神あれば拾う神ありとはこのことなのでしょうね。

存在を知ってから3年後、やぶちゃんと出会う

植木屋で働くようになったころ、知り合いから「わもん」の存在を知らされます。ただその時はそれどころではなかったため、やぶちゃんに会いに行くことはありませんでした。

「それから3年経って、やぶちゃんがリンポチェ様とコラボ講演会を開くということで、新潟まで会いに行きました。そこで、やぶちゃんが自分に成り代わって深い思いをリンポチェ様に伝えてくれたんです。その内容はドンピシャだったんですよね(キム)」

やぶちゃんに会って、話を聞いてもらった人は、その深さに驚かされます。キムもそれを味わっていたんですね。

「そこから半年たって、入聞塾、白帯、黒帯と参加しました。ただ、その時は、参加するのが嫌だったんです。大の大人が全力で声を張り上げる姿が苦手だったんですよ(キム)」

今のキムしか知らない人は、驚くかもしれませんね。キムと黒帯で過ごすと、誰よりも大きな声で仲間を鼓舞するようになっていますから。

「やぶちゃんにはかかわりたいと思っていたけど、黒帯にはかかわりたくないって思っていました。それでも、やぶちゃんから『見たことはできる』と言われて、ガチ聞きをすることになりした。やぶちゃんに信じてもらい、話し手を信じ切った結果、話し手は涙ながらに深い思いを話してくれたんです。無我夢中で話を聞いた結果『それがわもんだ』と言われたのが、わもんとの縁をつなぎとめてくれました(キム)」

「いい人になりたい」「世の中をよくしたい」と思っていたキムが、聞くことで世の中が良くなると実感した瞬間だったのではないでしょうか。

「やぶはら一門で後継指名されたのも大きかったですね。当時はやぶちゃんにもわもんにも疑いを持っていましたが、深い位置で信じてもらえていると感じることができました。認めてもらえたなとと、震えて泣いたことを思いだします(キム)」

わもんの本質は、自らの輝きを信じ切る力を養うための自己修養法です。ただ、この輝きを養うためには、時として周囲から信じられるという経験が必要となります。キムはやぶちゃんやわもんの仲間から信じられる経験をしたことで、本来の生まれてきた意味に気づくことができたのでしょう。

「今度は自分が信じる側に回って行こうと思っています。自分がわもんで学んだのは『全力を出せば事が動く』ということです。わもんには世の中を良くしたいという思いを持っている人が集まっています。一方で、過去の自分のように世の中を良くしたいと思っていても、その場がないという人もいるでしょう。そういう人にわもんを知ってもらうために、影響力のある人になろうと考えています(キム)」

これからキムの影響力はますます増えていくことでしょう。かつてのキムが、やぶちゃんに信じきられて感動したように、キムに信じられた人がどんどん目覚めていくのではないでしょうか。世の中を良くしようと思っている「みんな」にキムの全力が届けられていくのでしょう。

わもん創始者薮原秀樹・やぶちゃんより

出会って間もないころ 「みんなの家」というところで、第一回の合宿が行われました。 みんなの家では、お風呂が小さかったため 近所のお風呂屋さんに行くことになりました。 その車中、キムがこうおっしゃったのです。

「長野をひとつにしたい」

その時、助手席に居た私は 「無理やな」と、言ったのです。 本当に当時は、キムのコネクト力、つまり人を繋ぐ力、接続する力は まだまだ足りなかったのです。 ところが、ある時からキムの力がメキメキと上がっていきました。 多分、そのきっかけは徳島で開催された「わもん阿波踊り研修」。

「キムのリーダーシップは、やぐらの上から人々を見るといいんだよ」

と、アドバイスしたことでキムのリーダーシップが開花したのだと思います。 それから彼は次に「国と国をコネクト。繋ぎたい」 ということをおっしゃいました。その前に長野は完全にひとつになっていました。

これからのキムの“国と国とをコネクト” つまり、“カントリーコネクター”としての 大・大・大活躍を、 魂の弟の大活躍を、 私は心から楽しみにしております。

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