3Dヴァーチャルライブに関わった10年(2-1:前半)
前回記事
(1)2013年:EGOISTライブ立ち上げ(AFA13 シンガポール)
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(2-1)2013年〜2016年:EGOISTライブ(前半)
突貫ながら、大きな事故やトラブルもなく、大成功と胸を張っても良い結果をおさめる事ができた、EGOIST in AFA2013 Singapore。
「世界初の3Dヴァーチャルライブ」というニュースはセンセーショナルで、当然、日本のEGOISTファンの皆さんからは「日本でもライブが観たい」という(強めのw)声が上がり、帰国後すぐに国内でのライブ実施の話が立ち上がりました。
この頃、実はチーム内でトラブルがあり、MVNシステムを所有していた会社との協業が出来なくなりました。
担当スタッフも、その一件が原因でその会社を辞めてしまい、EGOISTのライブをやろうにも、最も重要なセクションがいないという事態に…。
その会社を辞めた担当スタッフ的には、EGOISTのライブを続けたい気持ちはある。開発に関わったエンジニアたちも同じ考えで、あとは、モーキャプシステムと開発環境という受け皿さえあれば…
当時、当社ワムハウスは、僕と、経理を手伝ってくれている奥様と、2人でやっている会社でした。
フリーランスのクリエイターとして仕事をしていたところに、大企業との仕事が増えてきて、上場企業とかだと個人相手に取引が難しく、必要に迫られ仕方なく起業しただけの会社なので、やっている事はフリーランスと何ら変わりなく、社員を雇ったり、会社を大きくしたりする意志は全くありませんでした。
高価な機材を買うなら、借金をしなくてはいけない。
開発スタッフも、社員として雇わなければいけない。
「MVN」と必要な周辺機器などで1,000万超…
スタッフの人件費や、改めて必要になる開発費…
社員が増えるなら、オフィスも用意しなくては…
当然、ライブ数回の予算にハマるワケもなく、どうするかの決断を迫られました。
それでも、生まれてはじめて大きな借金をして、1,000万円以上する機材を購入し、オフィスも作って、開発スタッフを社員として雇い、今度は自社開発のシステム『3.5D THE LIVE』を使って、EGOISTのライブを手掛ける事にした理由は
アニメ「ギルティクラウン」の世界に生きた、楪いのりという少女を、ヴァーチャルライブという仕組みで、我々が生きるこの世界で活動できるようにしてしまった、という(勝手な)責任感と
もしも自分がやらなくても、同じような技術や機材を持っている会社がやる事になり、その時、せっかく出来たEGOISTのライブのかたち=技術のお披露目会ではなく「いのりが主役の、chellyの存在感を感じられるライブ」が、果たしてその知らん会社=自分以外に出来るのか?という不安、エラそうかもしれないけれど「このライブ演出は自分にしか出来ない」という気持ちが、リスクを背負ってまでやる決断の、自分の背中を自分で押したんだと思います。
そんなトラブルと人生でもまあまあ大きめの決断を乗り越え、2014年上半期を新たなシステム開発期間に費やして、2014年下半期:8月23日@なんばHatch/8月31日@Zepp Tokyo/9月15日@Zepp Nagoyaと、東名阪3都市ツアーを実施しました。
ツアーのオープニングや幕間映像用に、物語風の散文詩を新たに書き下ろし、茅野愛衣さんにお願いして、語りの声をいただきました。
「ギルティクラウン」とは別の、遠くて近そうな、新しい物語を、まさか自分が執筆して、さらに、その自分が考えた言葉を、かやのんが…あの声で…語ってくれている…感涙
録音スタジオにはchellyちゃんも見学にきて、2人で「わー、ホンモノのかやのんだー、耳がしあわせだー」と大興奮でしたw
このオープニングの散文詩で書いた、いのりが語る言葉の中に、その後、僕が演出するライブで何度も繰り返し使うフレーズがあります。それが
「わたしは、ここにいるよ。」
という言葉。
この世界に顕現した楪いのりと、その奥に存在するchellyが
ライブのステージという「ここ」にいる、という意味と
実はもうひとつ大切な意味があるのですが、それはまた後で(書くの忘れるなよ自分)
「3.5D THE LIVE」を使ったヴァーチャルライブで東名阪ツアーを行った翌年2015年には、ニコファーレにて「3.5D THE LIVE+AR」として、カメラトラッキングと連動したAR配信ライブ『EGOIST showcase*001 "Fallen" in nicofarre』を開催しました。
このARライブ、全然知らんかったんですけど、今日、配信されてたんですね??
このARライブで印象的だったのは、ニコファーレの3Dスタッフの方が「いのりの衣装がメリ込んでしまう現象」に激怒されていた事。
(他にもなんだか色々キレ散らかされていらっしゃいましたけど…)
もちろん、メリ込まないに越した事ないんだけど、そのためにchellyちゃんの動きに制限をかけるつもりもなく(衣装のメリ込みを防ぐために、モーキャプのアクターさんは「浮き輪」を装備したりして、身体に腕が近づかないようにしていた)当時、モデルの動きや描画にはまだまだ課題があり、3DCGについて一過言ある方からは、まだまだ開発途上なウチのシステムに対して、このように苦言を頂いたりしておりましたが、そこは追って精度を上げていく、今はそれよりも「chellyが生でパフォーマンスすることでしか出せない、いのりの存在感」の方が大事という考え方で、僕がOKを出している事なのに、なぜかニコファーレの自称3D詳しい系コワいオジサンが激怒されていたので、そのオジサンを僕が丁重に嗜めてお黙り頂くという事がありました笑。
現場でオコっちゃダメよ、おじさん。
ARライブ、これもなかなかなチャレンジでしたが本当に「そこにいる」リアルな感じが(我ながら)すごかったですねえ。
こうしてライブを重ねていくと、メディア取材や同業他社さんからの問い合わせも増え、EGOISTファン以外のたくさんの人からも興味を持ってもらえているのを感じるようになりました。
その際、特許を取得したりして3Dヴァーチャルライブ技術を守り抱え込むような事は敢えてせずに、仕組みや方法などオープンに公開する事にしました。
モーキャプシステムや、3DCGキャラクターのリアルタイムレンダリング、描画や出力の方法などは、すべて既知の技術やサービスを組み合わせて、足りない部分を少し開発しているだけなので、システム機材と開発技術(人材)さえ揃えば、同じ方式のライブは誰でも実現可能で、あとは「見せ方」の演出の違いだけ。
僕はエンジニアではなく、演出家でありクリエイターなので、特殊な技術で市場を独占して「自分しかできない環境」を作るのではなく「自分しかできない見せ方やアイデア」で勝負したい。
であれば「3Dヴァーチャルライブのやり方」は抱え込まずオープンにして、色々な人が色々な表現にチャレンジした方が面白いし、技術面もエンジニアたちが競い合った方が、精度も上がる。
そうすれば…その先には、もしかしたら「3Dヴァーチャルライブ」という「ジャンル」ができたりして、色々なキャラクターがライブをやる時代が来たりしたらメッチャ面白い!と勝手な夢を描き、10年後か20年後か、それがいつか叶う世界線がくればいいなと願いました。
それがまさか…10年どころか、たった数年のうちに「Vtuber」なる言葉が生まれ、国内外で様々なヴァーチャルキャラクターがライブをやる時代が来る事になろうとは…!
その後、EGOISTファンクラブも発足し(「EGOISTix*fam」という名前も命名させて頂き)みんなでライブMVを撮影したり、いのりちゃんの衣装(3Dモデル)の点数を増やしつつ、国内ツアーはアジアへ、「3.5D THE LIVE」も少しずつ開発の手を加え、できる事を増やしていきました。
そういえば、あの「モヤモヤさまぁ〜ず」も出演させて頂きました笑
三村さん、MVNスーツ着て大暴れでした笑
そんな宣伝効果?もあり「EGOISTみたいに、ヴァーチャルキャラクターを使ったライブをやりたい」という新規ご相談も増えてきましたが、特に予算面で頓挫する事が多かったですねえ。
みなさんが思っている以上にお金がかかるんですよ、コレ。
ライブを主催するインクストゥエンターさんも、毎回すごいなー、よくやるなーと(請求を出す側ながら)関心していました。
3Dヴァーチャルライブは、人間アーティストのライブに比べて、遥かに高い費用がかかるため、簡単には出来ません。
EGOISTもですが、にじさんじ、ホロライブなど、ヴァーチャルライブを主催する人たちは、とても凄いのです(語彙力)
そして、とても厳しい予算の中、素晴らしいライブを創る人たち(我々)も、とてもとても凄いのです(自画自賛)
そんなワケで、自分勝手な責任感と勢いでやり始めた「3.5D THE LIVE」でしたが、常にギリギリの予算で行うライブでは、先行投資分の費用まではなかなか回収はできず、それでも「EGOISTのライブができて、それを喜んでくれるファンの人たちがいる」事で、気持ち的になんとか続ける事が出来ていました。
なにより、chellyちゃんがライブを楽しんでくれていて、 EGOISTファンの皆さんもとてもあたたかく、愛すべきいいオタクたちばかりで、アジアFCツアーでは食事をご一緒したり(ひとくちも食べてないけどな)グッズのプロデュースもやらせてもらえたり、香港でトークショー&サイン会やったり、僕自身もEGOISTに仕事として関わる事を楽しませてもらっていたので、この頃はまだ、EGOISTの仕事と「3.5D THE LIVE」の終わりを意識する事はありませんでした。(2-2:後半へつづく)