よくできたFREE.1
顔を覚えるのが苦手だった。
人は脳裏でどれだけ本当の顔を思い描いているだろう。顔を覚えるのが得意だという人は認識することが得意なのだと思う。記号で認識しているのだろう。それは本当の顔ではない。そのことが納得できないから、苦手なのだと気付いた頃にはもうだいぶ経っていて、私は母の顔を思い出すことが出来なかった。
ただ、母の鼻の右側に大きなほくろのあることによって、私は母の顔を認識したのだろう。ほくろはどれだけ整ったモデルの顔にも決して作り出すことのできないはっきりとしたものを母の顔に与えていた。それは安心だった。
私が小学校に入りたての頃、母はその大きなほくろを病院で切除した。ほくろのない母の印象はあまりない。
最後の日も母は旅行に行くように、ふらりと家から出て行って、それきり帰らなかった。
二十年も昔のことを思いつつ、私は六畳のフローリングに敷いてある布団の上でごろごろしていた。今では私も家を出て上京し、埼玉でアパートを借り生活している。
職業は文筆業。と書類などには書いているがその実しがないビデオゲーム関連メインのフリーライター。しかも生計が立たず始めたアルバイトが忙しくて最近はゲームすらろくにやらない。
今日はアルバイトのない日だったので目覚ましを掛けずに眠り起きると正午を周っていた。それから私は頑張って、部屋に掃除機をかけ、洗濯物を干した。
締め切りが近い原稿があるのに私はもう何もする気が起きず、結局再び布団の上にいる。せめてゲームをやらなければ、と思うが発売日に買ったまま未開封の限定盤パッケージが床の上で存在感を発揮しているので手元にあった宅配ピザの広告でそっと隠した。
大丈夫、新作なんてやらなくても書くことなら幾らでもでっち上げられる。そもそも原稿のネタにと買ったソフトなのに本末転倒だと思いながら、私は壁の方に向かって寝返りをうった。白い壁紙が鼻先に触れる。壁はリアル。安心。私は目を瞑り、現実を見ることを止める。
いつの間にかまた眠ってしまっていた。窓の外はもう日が沈みかけている。
スマートフォンが着信する。見ると義母からのメールだった。
「ちゃんと食べてますか? 今日は休みやから、ヘアーサロン行ってきました」実家の義母からの定期連絡、義母はいつも私を心配している。
私は意識して家族から遠ざかる。だが、いくら距離を置いても私たちの間には目に見えない「縁」が存在している。
「元気です。今日はカレーを作りました」と書いて送信。
三日目のカレーは鍋の中でいよいよ熟している。
私はふうっと息を吐いた。
一応、生活には困っていないし実家に頼ることもしていないけれど、義母は私を放置することに居心地の悪さを感じているのかもしれない。初めから余計だった上に、いつまでも用を成さず存在感を発揮し続ける縁。いっそ取り除けたらいい。
私はもう一度深くため息をつくと起き上がった。床に直置きの座椅子に座ってちゃぶ台の上の冷めたコーヒーを一口飲むと、ノートパソコンの文書ソフトを開いてキーボードを叩き始めた。
私が知っているのはプログラミングされた世界。出来事は全てフラグで管理されている。それは確かなもの。現実の、世の中は不確かだ。日々ころころ変わるルールの中で、上手く前のルールを忘れたふりの出来る人間だけが世の中を渡っていけるのだ。
いっそ、違うゲームだと思えば。ルールの違うゲームが連続して発生し、それぞれの結果が次のゲームの内容に影響を与えていくような。
あの時だってそうだった。
父と母と三人で東京で暮らしていた頃。私は机と学習書くらいしかない部屋で文字や計算の訓練をさせられて、わけもわからないまま小学校を受験した。私は合格した。だけど二年生に進級してすぐに母がいなくなり、父に連れられて引っ越した私は、父の故郷である和歌山の田舎にある公立小学校に転校することになった。私は親の期待と束縛から解放されて、それからは思う存分ゲームに没頭した。
合格祝いだったのだろう、家族全員で行ったフランス料理のレストランで出てきたパンがびっくりするほど美味しかったのは覚えている。小麦の焼けた香りが口の中に広がって唾液が溢れ出し、パンに味があることを生まれて初めて意識した。私は夢中で咀嚼した。食パンの綿のような食感が苦手で、それまではずっと飲み物がないと飲み込めなかったのに、私は以来パンが好きになった。
あの受験イベントが、「パンが食べられるようになるためのフラグ」に過ぎなかったなんて、誰が予想出来るだろう。この世界はそんな条件の集合によって編み上げられている。
父は田舎に家を買い、幼馴染だった現在の義母と再婚して、肺癌で死んだ。その時既に義母のお腹の中には父の子がいて、あとには私と義母と、新しく生まれてきた妹の三人の家族が残った。
当時私は父の間違いについて考えた。父は再婚すべきではなかったし、百歩譲っても死ぬべきではなかった。だが、義母はもういない父のことを決して悪く言わなかったし、毎日遅くまで一生懸命働いていたので、私も次第に父のことを考えなくなった。私は出来るだけ家に帰らず、学校が終わってもゲームセンターに入り浸り、家族から距離を置くようにして生活した。
義母は屋外で男達に混じって砂埃を被りながら汗を流すような仕事をしていたので元気で快活だったが、私は中学生の頃、一度彼女のことを下品だと言ってしまった。義母は一瞬傷付いた反応を見せたが、すぐに笑って「文ちゃん、ごめんなぁ」と言った。私の方こそ謝るべきだと後悔したが、何も言うことが出来なかった。それでも私は義母のことを嫌っていたわけではなかった。ほくろを持った母の印象と混ざり合うことなく、肉体を伴った存在として、義母の印象は私の中で大きくなっていった。
結局、父は間違っていなかったのかもしれない。
後の展開に少しでも期待するくらいなら、その時にやりたいことをやった方が幾らかましだ。
ほぼ無意識で書き上げたテキストを保存する。予想外の結末に驚きながらも、後から振り返って考えると以前の伏線と見事に繋がっているゲームについて書いた。題して「いいフラグ」
レトロゲーム専門誌というニッチすぎるゲーム雑誌に連載しているコラムで、私はノンジャンルのゲーム話を毎回書いている。元々上京してすぐにこの雑誌の出版社に入社して始めた連載だが、一年ほどで編集業に嫌気がさして会社を辞め、かといって実家に帰る気にもなれず、フリーライターなどという肩書きで連載は続けさせてもらいながら、アルバイトをして生活しているのだった。
今回のようなほぼゲームに関係ないと自分でも思ってしまう記事を度々書いているが、あまりボツも食らうことなく一定の読者から支持を得て細々と連載が続いている。原稿料もそれほど多くはないので私としてはいつ打ち切られても構わないと思いつつ、それでも代わり映えのしない日々に少しの刺激を与える要素の一つとして書き続けていた。ざっと文章を読み返してから躊躇いなく編集に送信して、私はノートパソコンを閉じた。
部屋に意識が戻ると同時に、現実の時間が動き出す。空腹感。私は立ち上がってスリッパを履くとフローリングの居室から地続きの台所へと向かった。二日前に作ってからカレーの鍋はコンロの上に置きっぱなし。だから、足が早いじゃがいもなどの具材は初めから使わない。
ゲームのように不確定要素を潰していく。当然、孤独だ。高校卒業とともに息苦しい家を逃げるように出て来てから数年、私は問題なく暮らしている。そうして生活しながら、世界が自分を核として発生する重力と、それに反応する周囲の空間によって構成されていることを知った。その世界は余りにも矮小だった。だけど、だからこそ私であるともいえる。
底の深い丼に、予め炊いておいた米をよそい、具のだいぶ溶けかかったルーをその上にかける。スプーンを丼に差して居間に戻りちゃぶ台の前に腰を下ろす。
一日ぶりに息を吹き返したカレーは暖かい湯気を立てている。既に知っている味。食べる前からもう食べ終わっているような気がする。思考は既に先にいる。だけど体は追い付くのに時間が掛かる。スプーンで固形と流動体を半分ずつ掬って口へ運ぶ。何度か繰り返すうちに空腹感は消え、空の丼を持って私は台所へ再び向かう。
空腹感は消えた、と私は思った。台所から戻ると私はゲーム機の電源を入れた。テレビ画面にまどろっこしいロゴが次々と浮かぶ。その間にもさっき浮かんだ考えが胸にわだかまり続ける。不安が募り、少しずつ焦燥に変わる。
画面にレーシングゲームのタイトル画面が表示される。私はコントローラの決定ボタンを連打してレースを始めると、今度はアクセルボタンを押す指にじわじわと力を込め愛車の三菱・ランサーエボリューションを発進させた。
家を出るという選択により私は自由を得たつもりだった。だが現状はハマり状態に近い。何らかの原因でゲームをこれ以上進められなくなる状況だ。
考えながらの集中力を欠いたプレイが祟って愛車は最初のカーブであっけなくクラッシュした。舌打ちしてリトライを選択する。
あの日以来、母が戻らなかったのは自由な選択の結果だったのだろうか。それとも、ふらりと出て行って事故に遭うように、戻る選択肢を失い、違う生活にハマり込んだのだろうか。
その後のプレイでも数回、同じ箇所でクラッシュしたのでそれ以上考えることをやめ、私は敷きっぱなしの布団に倒れこんだ。
白い天井を見上げる。真昼の太陽のような丸い蛍光灯が眩しく、右腕で眼を覆う。顔を横に傾けて目覚まし時計に目をやると、夜の十時だった。明日はまた朝の六時からアルバイトだ。目を閉じるが、昼間寝すぎたせいで眠れそうにない。かといってもうすることが思い浮かばないので、私は眠る。