イタリア映画「ウンベルト・D」。これは、老人と子犬のポルカ。
深刻な社会問題。階級や年代の軋轢。笑っていられない、現実。
イタリアの巨匠ヴィットリオ・デ・シーカは、今差し迫った危機を描くことで、映画による社会批判を行い続けた作家だった。
「自転車泥棒」は彼の代表作だが、もう一つ重要な作品がある。
「ウンベルト・D」だ。貧しく孤独な老人の絶望を描くやりきれない物語だ。
まずはこの物語の主役、この老人の曲がった背中を見てほしい。
ご覧、
普通に生活しているだけで、周囲に迷惑をかけてしまう哀しさを漂わせている。
ヴィットーリオ・デ・シーカ監督による伊ネオレアリズモの傑作!
ローマに暮らす元公務員ウンベルト・ドメニコ・フェッラーリ。年金での生活は苦しく、
家賃滞納のため20年間住んでいるアパートの部屋を追い出されそうになる。家主はウンベルトに対して冷淡そのもの。物を売るなどして部屋代を工面しようとするウンベルトだが、やがてその工面も行かなくなり部屋を出ていくことになる…。
監督: ヴィットーリオ・デ・シーカ
脚本: チェザーレ・ザヴァッティーニ、G・R・アルド
音楽: アレッサンドロ・チコニーニ
出演: カルロ・バッティスティ、マリア・ピア・カジリオ、リーナ・ジェンナーリ
IVC公式サイトから引用
主人公ウンベルト・ドメニコ・フェラーリのモデルは、父親のウンベルト・デ・シーカ。つまり、父親に捧げた、デ・シーカにとって思い入れの深い作品。
(その思い入れとは裏腹に、興行的には振るわなかった。)
テーマは老人の貧困問題。 現代日本もひとごとではない。
映画は、馘首された公務員のデモ隊の行進から始まる。打ちひしがれつつも、社会悪への怒りを失わないエネルギッシュな男たちの群れ。
その次に、最早怒る気力すらない、誇りと希望を失った老人ウンベルトが現れる。外に行くところもなし、かといって自分の部屋もいつまで保つことか。
だから自分は病気だと嘘をついて、病院で日常を潰そうとする:人が優しすぎるので嘘をつけない。(隣のベッドの患者にダメ出しされるレベル。)早々に病院から出される羽目となる。
このように、見てるだけで気分が萎れてくる(それだけ「俺だってそうするだろう」という生理的なリアリティがある)死ぬまでの暇つぶしが描かれるのだ。
そして最後、ウンベルトは自分の家を失う。最早、夜のとばりを守る傘はない。
「自転車泥棒」が「子を連れて」なら、こちらは「犬を連れて」といったところか。本人にとっては冗談ではない。
ローマのパンテオン前で物乞いをするまで、追い込まれる。巨大な建造物との対比が、痛々しい。(そしてやはり物乞いは、うまくいかないのだ。)
唯一の友達だった犬も、通りすがった女の子にくれてやる。だが犬はついてきてしまう。親父を見捨てない子供のようによちよちと。自転車泥棒の構図だ。
いっそ踏切に飛び込んで死のうとする:死ねない。
彼岸に向けてとぼとぼと、行くあてもない果てに向かう所で、映画は終わる。
未来はない。 ある意味「自転車泥棒」以上にやるせなく、映画は終わる。
※本記事の画像はCriterion公式サイトから引用しました