イタリアの実写版「ピノッキオ」_ウソをつくって悪いこと?ベニーニは、問いかける。
「ライフ・イズ・ビューティフル」。
第51回カンヌ国際映画祭(1998年)で審査員グランプリを受賞。第71回米国アカデミー賞(1999年)で作品賞ほか7部門にノミネートされ、そのうち、主演男優賞、作曲賞、外国語映画賞を受賞した、
「ニュー・シネマ・パラダイス」とならび、今なお人気の高いイタリア映画だ。
監督・主演を務めたのがロベルト・ベニーニ。
全世界の羨望を受けて、その次に監督・主演したのが、「ピノキオ」だった。
皆、ずっこけた。
一転、彼は、ゴールデンラズベリー賞主演男優賞 の不名誉を得た。
だからといって、全部が全部ノーの出来と言うわけではない。
「人間になりました、ハイ、おしまい。」
ベニーニは、そんなあっけらかんとは終わらせない。この題材で、最後にひとつ、問いを投げかけるのだ。
トスカーナ、夜明け前。寝静まるフィレンツェの街を白い馬車が走る。200匹のネズミに引かれたその馬車には、青い妖精が乗っていた。道に迷った妖精は、困って青い蝶を放つと、やがて一本の丸太にとまった。ジェペット爺さんの元へと転がった丸太は、“ピノッキオ”として息を吹き込まれる!一本の丸太から生まれたいたずら小僧ピノッキオの愛と感動の物語。誰もが知っている童話「ピノッキオ」だが、原作に忠実な“ピノッキオ・オリジナル・ストーリー”は今回が初めて。誰も知らない、誰も見たことがない「ピノッキオ」とは一体どんな世界なのか・・・。
監督・脚本: ロベルト・ベニーニ
原作: カルロ・コッローディ
音楽監督: ニコラ・ピオヴァーニ
撮影監督: ダンテ・スピノッティ
美術監督・衣装: ダニーロ・ドナーティ
ビジュアル・エフェクツ: ロブ・ホジスン
キャスト:ロベルト・ベニーニ、ニコレッタ・ブラスキ、カルロ・ジュフレ、
キム・ロッシ・スチュアート
角川映画 公式サイトから引用
さて、下の写真を見て欲しい。
真ん中の花柄を着ている人形がピノキオ(演:ロベルト・ベニーニ)である。
どちらかといえば「オズの魔法使い」のブリキ人形に見えることだろう。
このピノキオ、嘘つきで、悪戯好きで、勉強と努力が嫌いで、すぐに美味しい話に騙される。そして、騙されても、後で痛い目にあっても、まるで反省しない。言うこともコロコロ変わる、子供が、ダメな部分を引きずったまま大人になってしまったようだ。
子供体型のピノキオの嘘はまだ愛嬌がある。
「見た目はオトナ、頭脳はコドモ」のピノキオの愛嬌は、ゼロだ。
これも「ゴールデンラズベリー賞」獲得の一因だったに違いない。
だが、ここに目を瞑れば、ベニーニが描きたかったものが浮かび上がる。
重要なのは、ピノッキオが、自分のせいで失踪したゼペット爺さんに負い目を感じており、「ゼペット爺さんを助け出す」目的を忘れないことだ。他の楽しいことにかなり気を取られていても。
知恵が足りないなりに、自分一人で目の前の困難をどうにかしようとしては、ことごとく裏目に出る。周囲の人物も、ピノッキオを利用する奴しかない。
悪行祟って彼を罰したい奴は山ほどいるが、彼を諭してくれるのは妖精だけだ。(口を利くコオロギさんも、ピノッキオは「親不孝者」だと終始辛辣だ。)
何をすべきか、誰も教えてくれないのに、ピノッキオはひとりぼっちだ。
なので、ピノッキオは「これはゲームだ」と自分自身に嘘を言い聞かせる。生き延びるために。ちょうど「ライフ・イズ・ビューティフル」で父親・グイドが5歳の息子に「ここは収容所じゃないんだよ」と、嘘をつき続けていたのと、同じように。
もうひとつ重要なのは、全編、かっちり丁寧に撮られていることだ。
嬌声に耳を塞げば、目の前には透明感ある、美しい世界が広がっている。
冒頭、魔法をかけられた丸太が街中を飛び跳ねる時。
ピノッキオがはしゃぎ回る時。ピノッキオが罰せられる時。
遊びの島で惚ける時。ロバに変身されてサーカスの見世物にされる時。
ニコレッタ・ブラスキ(グイドの妻役の人)演じる妖精が魔法をかける時…。
どの瞬間も、息を呑む仕上がりである。一時停止すれば。
撮影はダンテ・スピノッティ、「L.A.コンフィデンシャル」「ヒート」が代表作のベテランだ。美術・衣装はDanilo Donati、これも、絢爛豪華なフェデリコ・フェリー二作品の美術を務めたベテランだ。
ベニーニは、心が純粋な人間なのだろう。
だから、自らピノッキオを演じ、彼が幸せで尊い「純粋な存在」であることを、体を張って示そうとする。
そういう意図がなければ、遊びの島で出会いロバに変身してしまった悪友ロシーニョ(ディズニー版で言う「ランプウィック」)と風車小屋の中で再会するシーンを撮るはずがない。
ロシーニョは結局人間に戻れないまま、瀕死の状態。ピノキオの世話も虚しく息絶える、これにピノキオが涙を流す、こんなシーンを撮るはずがない!
最後、人間になったピノキオには、妖精さんの声は聞こえない。妖精さんの世界は目に見えない。
ラストシーン。友の死を乗り越え、父親を看病して救い出したお礼に「人間」になったピノキオは
「なんで僕は嘘つきだったんだろ。人に騙されない真っ当なオトナになろう」と
学校へと出かける、彼の足から伸びる影が、離れていく。
影=「人形の」ピノキオ、青いチョウチョを追いかけて、それだけが、町の外へ、駆けていく。妖精さんに、コオロギに、会いにいくために。
嘘をついて、騙されて、それでも、自由に生きていくために。
これは
ピノキオは人間になれて本当に幸せになったのだろうか?
石ノ森章太郎の萬画「人造人間キカイダー」 最終ページより引用
という、夢を忘れられないオトナが抱く、問いへのアンサー。
このラストシーンを見る限り、ベニーニの答えはNOだ。
嘘をつく。嘘をつかれる。
それは人間が生き延びるために必要とする弱さであり、
それは、同時に人間らしい優しさでもあるということ。
ベニーニは、ピノッキオを演じることで、ウソの中に生きるヒントを見出す。
不愉快なキャラクターの饗宴、氾濫の中に、しかし透き通った美しさがある。どうにも不思議な映画なのだ。
※本記事中の画像は角川映画公式サイトから引用しました。
なお、ロベルト・ベニーニは2019年にイタリアで製作・公開された実写版「ピノキオ」(監督:マッテオ・ガローネ)で、今度はゼペット爺さんを演じている。
当人にとって、よほど思い入れがある題材なのだろう。