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たぶん、それは幸福。

本当に最初はたまたまだったんだ。環境ががらりと変わってなにもかもうまくいかないことばかりで、深夜の布団の上で幼かった子どもらにはさまれて2ちゃんねるをただただ眺めることでしか自分を保てなかった日々の中で、あのネガティブなニュースを見つけた。それでクリープハイプを知ったんだよ。この子たちにあんなことをさせてしまう人たち、いったいどんなバンドなんだろう。見た目はなんか好きだな、そうだ、このボーカルは魚喃キリコの漫画に出てきそうだ、最初はそれくらいだった。それで、しばらく忘れていた。

そのうちに、TSUTAYAで1枚目を借りた。なんとなく借りただけだった。毎日がまだずっとあまりにもなにもかもうまくいかなくて、ただただipodに入ったままだった。
だからそれは運命と言ってしまうとあまりにも陳腐で情けないけれど、ただ入ったままの音楽を聞いたんだ。たぶん、たまたま聞いた。それでまんまと、本当にまんまとはまってしまった。
ボーカルの「よ」の発音がたまらなく好きだと思った。ひねくれているのにかまってほしい、見られたらつっぱねるのにそっぽ向かれたら悲しくなる、そんなめんどくささがたまらなかった。
エロを買った。CDを買った。その年は梅雨からよく雨が降る年で、夏になってもやっぱりずっと雨が降っていた。一人で車に乗ることが増えていて、雨音が全ての音から隔離してくれた。ひとりぼっちのあたしのためだけに歌ってくれていた。頭蓋骨の内側にぺったりとその音が貼り付いてしまって、他にはなんにも聞こえなくなってしまっていた。
秋の始まりのホールツアーのチケットが取れた。やっぱりあんまりなんにもうまくいかないから開演に間に合えなくて、手と手を聞けなかった。年甲斐もないような気がして立って聞けなかった。だけど、このギタリストの弾くギターは大好きだと思ったし、ベーシストは美しくて、ドラムがいるから成り立っていると思った。地元で開催される夏フェスに本当は出たかったと言ってくれて、リップサービスだったかもしれないけれど、ここにいるんだ、生きているんだと、本当にうれしかった。

それからは、CDを買ったり、ライブに行けたり行けなかったりした。一対一で対面したときにはもうなにも話せなくて、スタッフさんに「よかったら何かお話してくださいね」と苦笑された。年甲斐もないからと入れなかったファンクラブも、チケットの先行という大義名分のおかげで入ることができた。
楽しかった。

そうしたら、突然あの日が来た。想像すらできない恐怖と不安が、生きているうちにやってきた。幸いにもわたしはあまり生活が変わることがなく、仕事もそんなに変わらずにできているように見えた。田舎だし、なんとなく大丈夫だった。でも彼らは。画面の中で、紙の中でもがいていた。無精ひげを生やして、もがいていた。弱っていたのかも知れない。放つ宛てのない音を作品を舞台を映像を、あたしたちに向けて放ってくれた。ひょっとしたら見ることのできなかった内側を見せてくれていた。コロナ禍があってよかったなんてひとつも思わないけれど、その中でもできるやり方があるんだと教えてくれた。
そのうち、フェスが解禁された。暑い夏の終わりのその時間には、顔も知らないあの子たちと行けもしない大阪のほうを向いて感慨にふけった。
芥川賞の発表のときは、一緒に固唾をのんで結果を待ったし、太客だけしか読めない文字や聴けない音に一喜一憂したりもした。
一つひとつに、すごく暑かったり寒かったりおいしかったり苦かったり、いろんな感触がまとわりついていた。

「好きでいることを恥ずかしがることなんかない」と知人に言ってもらえてからは、堂々とでもひそかに、ずっと好きでいることを楽しく思っている。
勇気を出してとった大阪城ホールのライブのチケット、結局行けなくて、でも取り戻すように開催してくれたライブに運よく行けて、そして二日とも涙を流した。
彼らに背中を押してもらう、というにはわたしは年をとりすぎている。でもそういえば、なにもかもうまくいかなかったあの日、職場の印刷機の前で半泣きになりながら二十九、三十を口ずさんでいた。
大好きだと思った。
MVの中でとぼとぼと歩く主人公が通り過ぎる路上ミュージシャンのように、ただそこにいてくれたらそれでいいと思う。でもわたしは見つけた。それはたまたま。でもたぶんとても幸福なことだった。
ただあなたたちが長生きして、したいことをしてくれてたら、それがいい。わたしのやり方できっとずっと好きでいる。好きになれてよかったよね、とあの子たちと思いあう。
だからそれがわたしの幸福。
ありがとうございます。

#だからそれはクリープハイプ
#クリープハイプ

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