「京都の秋の夕暮れは…」
たしか、夏休みの最後の夜だった。
あくる日、提出しなければならない宿題に悪戦苦闘していた。
寄宿舎の自分の部屋だっただろうか。
深夜放送に耳をかたむけながら、机にむかっていた。
資料などのページをめくったり、筆記したりすることもひとりではできないので、泊まりの先生につき合ってもらっていた。
ラジオからは、そろそろメジャーへの道を駆けあがりはじめた長渕剛が影響を受けたミュージシャンについて語っていた。
窓の外では、キリギリスが鳴いていた。
思春期のもどかしさに、あえぐ毎日を過ごしていた。
十五歳の春まで、障害児のためにあるはずの養護学校はぼくを拒みつづけた。
「身辺自立の壁」が立ちはだかった。
ぼくは八歳から、生命を維持することさえ困難な同世代の子どもたちと過ごし、ふつうの学齢からは三歳遅れで、小学部を五十日ほどですっ飛ばし、中学部から念願の養護学校へ通うと同時に、寄宿舎生活をスタートさせた。
友だちもすぐにできたし、生徒会活動にも積極的に参加し、表面上は青春を取り返しているかのように見えただろう。
同世代の友人たちや個性的な先生たちにかこまれて、自分自身の「いま」を形づくったり、支えになったりしている人や体験は数知れない。
一方で、素直に言葉にできない自分に苛立ち、漠然と世の中の破滅を想う日もあった。
相反する自分を持てあましていたぼくは、ラジオから聴こえてきた「語りと唄」に、耳と心がさらわれた。
あたたかかった。
一つひとつの言葉とその「間」は、あらゆる感情を包んでしまうように柔らかかった。
その唄は加川良さんの「下宿屋」だった。
陽のあたる道を選ばず、自分の想いと意志に誠実に唄づくりと向きあった人たち。
その日常を描いた唄ごえは、思いどおりに気持ちを言葉にできずにもがいているぼく自身に対して、「それでいいんだよ。そのままでいいんだよ」と、語りかけてくれているようだった。
ずっと探しつづけてきたものに出逢えた気持ちになった。
それまで顔をしかめてきた周囲の人たちの表情をうかがう自分が、いとおしく思えた。
ありのままのぼくを受け容れようと思った。
しばらくして、もうひとりの自分が現れる。
一日の流れや人間関係が変わったわけではなかったし、行動や感情もあいかわらず些細な起伏に揺らいだ。
けれど、現実に顔をそむけたり、怯えたりする心をくるむように、揺らぎを見守る別の意識があって、しんどい場面になると苦笑いしながら「ぼく」を支えつづけた。
いつの間にか、ぼくはぼくのことがいちばん好きになっていた。
良さんの「下宿屋」の中での「ありがとう」と「いっぱい」ほど、ぼくの気持ちをホッコリとさせるものはない。
ほんとうに、この唄が好きだ。
良さんは、逝ってしまった。
けれど、この唄がつないだ不思議な縁は、大切な親友としていまも生きつづけている。