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逆さ読み

 今日、手のひらに装着するタイプのワンキースイッチを使って、初めてひとりで本を読もうと思った。
これまでサポーター(ヘルパー)さんにパソコンの操作をお願いしてきたとはいえ、カーソルの動きを目で追っているから、電子書籍を開けてページをめくるぐらいはなんとかできるはずだった。

 だいぶ脚色が入ってしまった。
最初、ワンキースイッチを使うためのこまごまとしたパーツが揃い、お試しでネットを検索したり、電子書籍のページをめくったりしようと思ったら、カタカナには変換してあるものの、意味の解らない言葉がならび、サポーターのKくんに訊きまくった。

 二~三日かかっておよその行程がつかめるようになり、サポーターさんに買い物に出てもらっている時間を使って、茨木のり子さんの詩集を読むことにした。
詩集なら、急いでページをめくる必要もそれほどない。
 結構ややこしい手のひらスイッチをつけ終えて、味付けのりとトイレマジックリンを買いに出てもらった。

 仰向きになった顔の前にセットされたタブレットの画面に目をやると、体がポカポカするような笑いがこみ上げてきた。
 画面が上下逆さまになっていたのだった。
 気持ちがポカポカするような笑いには、子どものころの思い出が重なる。

 子どものころ、ひとりで座れなかったぼくは、畳の上で横向きになって絵本や図鑑や「少年朝日年鑑」を指の背中でページをめくりながら楽しむのが日課になっていた。
 なぜか、ゴッホやセザンヌの画集も好きだった。
平面に奥行きのあるものが描けることが、子どものぼくには、えんぴつも持ったことがなかったぼくには、とても不思議で仕方がなかった。
 いまから思えば、奇妙な感性の五つのころだった。

 ずいぶん、まわり道をしてしまった。
 今日、ぼくがタブレットの上下逆さまの画面を見て、体がポカポカするような笑いがこみ上げたのは、あのころページがうまくめくれなくて斜めを向いたり、遠くへ飛んでいってしまったりした本を、いろんな角度から横目になって読んだ記憶と重なっていたからだった。
 おばあちゃんもおふくろも「特技」だといって感心していたし、ぼくは得意顔だった。

 そんな思い出の傍らには、七つちがいの姉ちゃんが「ねこふんじゃった」を弾いていた記憶しかない大きなオルガンがあったり、ときどきぼくの寝ているすぐそばを通って奥のトイレに伸びていく蛇腹のくみ取りホースがあったり、とにかくみんなのんびりしていた。
ホースが走ったあとの畳の上に転がったあられを必死でつまんで、食べていたのだから。
 さほど感情がともなわない日常風景だけに、よけいになつかしく思えるのはなぜだろうか。


 八つから入った施設でも、ぼくは同じように寝転がったままで本を読んでいた。
 今度はベッドの上だったから、よくサクの間から床へすべり落ちた。

 いまから五十年以上前に、障害のある子どものギリギリの命を支える施設で働く人たちの意識はとても高かった。
子どもだったぼくの目線でいえば、みんな大人は優しかった。よく話を聴いてくれた。

 たった一つ、ぼくには悲しすぎる思い出がある。
ある日、ぼくはラジオの高校野球に熱中していた。
それでも、そろそろごはんの時間だということはわかっていた。
 ベッドのそばのちいさなテーブルに食事が運ばれてくると、その人はぼくに声をかけた。
「食事ですよ」
「わかってる」
ぼくは気持ちのままに応えた。
すると、思いもよらない言葉が返ってきた。
「『わかってる』ばっかり言うから、子どもらしないんや。大人と子どもの間やから『コトナ』やわ。かわいくないわ」
 なにが悪いのか、わからなかった。
ごはんの時間を知っていたから「わかってる」と応えただけだったのに…。
「ほんまは、みんな、ぼくのことをキライなんと違うかなぁ…」
 本当のことを言葉にしていいのか、いつも考えるようになった。
それから、いつも人の顔色が気になるようになった。

 思春期を越えながら、友人たちや唄に導かれて臆病な自分を受け容れられるようになった。
弱さを愛おしく思えるようになった。

 いま、感情の浮き沈みがうまくコントロールできなくなっても、持ちこたえられているのは、「コトナ」と呼ばれた悲しい思い出からはじまった時間のうねりがあったからではないだろうか。

 

























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