言いわけ、疲れ、ノスタルジー
ほぼ毎日、つづけていたnoteへの投稿が一日あいてしまった。
文章の長短にはかかわりなく、引っかかりのあるテーマを書こうとしてはまとまり切らず、下書き保存に何本かたまっている。
つまり、仕上がらない原稿が重なってしまった。
ぼくのプロフィールでも触れているように、自分自身の長所であり、短所は相手の立場になろうと考えすぎてしまうところではないだろうか。
仕上がらない原稿は、どれも自分目線で書き進めてから、他者であればどうだろうか(?)とか、ぼくをタナに上げていないだろうか(?)とか、紆余曲折する内容ばかりだ。
当然、ぼく自身を顧みる場面にぶつかるので、言葉に換えるのもしんどくなる。
そんなぼくのルーツを見つけた。
十二~三歳のころ、念願かなって八人部屋の窓際のベッドへ移してもらって、AMラジオに聴き入る毎日だった。
京都市内でも施設の鉄筋コンクリートだったので、近畿放送(現在のKBS京都)とNHK(ラジオ第一、第二)しか、クリアには聴き取れなかった。
近畿放送は地方局といっても、自主製作の番組がほとんどで、鶴瓶さんやあのねのねさんやのちに一世を風靡するタレントさんが顔をそろえていた。
そんな中で、デビューしたばかりの河島英五さんは、とりわけ異彩を放っていた。
野太くて粗削りな叫びに近い唄声は、家庭の事情を背負いながら施設での暮らしをつづけるぼくの心にまっすぐに届いた。
とくに、世の中の矛盾を突いた「てんびんばかり」は、ややこしい言葉を抜きにして、泣きじゃくりたくなった。いつも唄が流れるたびに。
十代後半に出逢った加川良さんや二十代後半に出逢った友部正人さんは、ぼく自身の内面と世の中の重なりあうあたりの息苦しさを鎮め、醜さやまどろっこしさもくるめて、その唄声から向きあうことの大切さを伝えられたような気がする。
でも、「てんびんばかり」と出逢っていなければ、身のまわりのさまざまな矛盾から目を逸らそうとしていたかもしれないし、根っこに喘ぐ息苦しさを感じないままで思春期を迎えていたのではないだろうか。
「てんびんばかり」をリアルタイムで聴けたことは、良さんや友部さんとの出逢いにも深く結びついているのだろう。
「てんびんばかり」がぼくの原点ではないかと気づいてから、ややこしい話題につき合える気心知れたサポーター(ヘルパー)を捕まえては、YouTubeでほぼ強制的に聴いてもらっている。
みんな、えらく納得顔になる。
昨日も、今日も、居眠りというには深すぎるほどの熟睡を昼間からしてしまった。
腰に負担をかけないお尻のポジションが把握できて、日中のどこかでリハビリもかねた外出をするようになった。
先に書いた昼間の熟睡は、この外出と関係しているのかもしれない。
長時間、出歩かなくなった生活スタイルの変化と体力の衰えが、疲れやすさとリンクしているのではないだろうか。
帰宅後の数時間を眠りに費やしてしまうと、いよいよタブレットと向きあう時間が限られていく。
noteへの投稿があいてしまったほとんど言いわけで塗り固められた事情を書いているうちに、「てんびんばかり」で熱くなってしまった。
コザック前田さんあたりが、リメイクして唄っていただけないだろうか。
今夜も思いのままに書き進めてきて、最後にこのページのトップに揚げたモノクロ写真について。
いつ撮ったものなのか、記録も記憶も残ってはいない。
ただ、背景にある階段から察すると、十八歳~二十一歳に過ごした養護学校のグランドには違いない。
ということは、このころに加川良さんの「下宿屋」と出逢っていたことになる。
長所も短所もたくさんの矛盾もひっくるめて、ぼくはぼく自身とつき合っていこうと思った時期だ。
押入れの古いアルバムを引っ張り出して、心優しいおじさんサポーターさんに手を入れてもらって、クリアな画像としてデータ化された一枚だ。
いまのぼくとは似ても似つかない、とっておきの一枚だ。
後ろ向きだと、思われてもかまわない。
この写真には、新しい自分と出逢ったスタートラインに立つ爽快さがある。初々しさがある。
いまを受け容れられるように、しばらくはこの一枚でいこうと思う。
この若さなら、誰もぼくを特定することはできないだろう。