電話だけでもかまわない
夕方、姉に電話をかけた。noteの中に登場することを了解してもらうために。
去年、ぼくは還暦になってしまった。ということは、姉は六十代後半ということになる。
母親が亡くなってからは、いろいろと手続き上でお願いすることも多くなったし、おたがいに歳を重ねたことで、たまに気遣いの連絡を取りあうようになった。
ぼくが暮らす街にも雪がちらつくほどの寒波が来襲した午後、なんとなく気になって電話をしてみると、普段よりも口数が少なく沈んでいるように聞こえた。
いつもはこちらが相槌を打つだけでやっとなほどしゃべる人だけに、その理由を案じてしまった。
一ヶ月ほどして小用で連絡をすると、明るくて歯切れのよい聞きなれた声にもどっていた。
前回の電話のことをたずねてみると、「うたた寝してたのとちがうかぁ…?」とのこと。
近い記憶ほどすぐに忘れるようになったぼくにしては、ホッとした気持ちとうたた寝している姉を想像して、吹きだした瞬間をはっきりと憶えている。
ぼくの姉との最初の記憶は、キャベツ炒めの塩味だろう。
その日、いつも世話をしてくれていた祖母が出かけていて、昼ご飯を用意して食べさせてくれた。初めてだったので、ずいぶん緊張して手足をバタバタさせてしまった。
それにしても、キャベツだけのキャベツ炒めのおいしかったことが忘れられない。よく塩味がきいていた。
もうひとつ、その記憶には不思議さがある。
根拠はなにもないのに、確信できるくらいに姉が小学校六年生だと脳にインプットされている。
子どものころの日常の小さな出来事など、姉は忘れているだろう。
うまく説明できないけれど、意識の底で姉が「小学校六年生だったこと」をゆずれない何かに変換させようとするぼくがいる。
その後、ぼくと姉との味わい深い信頼関係はいまへと続く。