修学旅行
二泊三日だったのか、三泊四日だったのか、もうハッキリとは憶えていない。
養護学校の中学部の修学旅行は、富士山と東京だった。
十五才まで施設で生活していたから、ぼくにとって初めての本格的な旅行だった。
ぼくは気乗りしなかった。
スケジュール通り行動しなければならないとなると、トイレのことで頭がいっぱいになった。
入学して二年半が経って、やっと授業前や休み時間にあわせてコントロールできるようになったといっても、体育祭とか、文化祭といった特別な一日にはオシッコがピタリと出なくなってしまった。
修学旅行は一日ではない。
けっこう、スケジュールも詰まっていて、うまくコントロールできなくて「もらしてしまったらどうしようか…」、そんなことばかり考えていた。
これでは楽しい思い出など残るはずがない。
夜中までオシッコが気がかりで、よく眠れなかった。
東京から帰ってきて最初のホームルームで、それぞれに感想文を書かされた。
ぼくは「オシッコのことばかり考えていた」とは書けないので、適当に言葉をならべていた。
となりの席で、和子がひとり言をつぶやきながらエンピツをまわしていた。
「山が見えへんかったし、東京はしんどかったわぁ~」
彼女は人口二千人あまりの町で生まれて、地元の小学校を卒業して、スーパーまで歩いて二十分といっても、校舎の正面には田畑がひろがり、遠くには新興住宅地が見える養護学校で、ぼくと中学時代を過ごした。
いつか、友だちの車に乗りあわせて東京へ研修に行った帰り、出逢ったアルプスの山脈は空を遮って立ちはだかっていた。
あれほどの迫力はともなっていなくても、空の向こうには薄青い山なみがつづいていた。
視線を移せば、樹々の枝先まで背の低い山の小刻みな輪郭として、影をつくっていた。
noteで活かせる写真を探して押入れのアルバムを開くと、富士山をバックにしたり、国会議事堂前だったり、サポーター(ヘルパーさん)が手に取っただけで、そんな何枚かがスルスルと落ちてきた。
けれど、写真を肉づけできるような立体的な記憶にはほど遠く、どれもぼんやりとかすんでいる。
和子のあの言葉だけが、いまもぼくの心の中をひとり歩きしている。
「山が見えへんかったし、東京はしんどかったわぁ~」
ぼくの生まれた家は地方都市とはいえ、繁華街のど真ん中だった。
子ども時代を過ごした施設は、北野の天神さん近くの大通りに面していた。
それでも、和子のあの言葉を思い出すと、放課後に友だちと時間つぶしに通った近所のお寺の門前で、イッキ飲みしようとしてよくムセたレモンスカッシュがどこかで重なろうとする。
ほかの炭酸系と比べると、シュワシュワがきつかった。酸っぱさもきつかった。
「青春の味」なんて、書けばいいのだろうか。
現実的ではないとあきらめていても、晩年は山なみを傍らにして過ごしたい。
「夢」で完結するに違いない。