ねぇちゃん乱入
普段、ぼくは姉を「ねぇちゃん」と呼んでいる。
六十歳を過ぎたのに、まだ「ねぇちゃん」と呼んでいるのかぁと思ったり、やや気恥ずかしくなったりもする。すこし後ろ向きなぼくとはちがい、性格はサッパリしていて、並外れてよくしゃべる。おばあちゃん譲りで、料理が旨い。
あのとき、ぼくは二十八歳だった。
遠方の施設から、両親や姉の住む町まで車で三十分程度のところへ引っ越して間もない時期だった。
ある日、体のある部分に異変を感じた。ある部分とは、「ムスコ」というか、「コウガン」のあたりが熱っぽく、腫れている感覚がした。
場所が場所だけに、施設のスタッフに打ち明けるまで躊躇をくり返した。
悩んでいるうちに、その部分は日に日に膨張していく。
思いあたるフシはなかった。それでも、集団生活をしているわけで、感染するたぐいなら「後悔先に立たず」になってしまう。異変を感じて五日ほど、思いきって相談して、総合病院へ受診した。
担当医は、三十代前半の落ち着いた雰囲気の人だった。デスクのモニターに映る患部を診ながら、冷静に状況を説明しはじめた。
腫瘍であること、取って検査をしないと、良性と悪性の確認ができないこと、もちろん手術が必要なことが主な内容だった。
自分自身に驚いてしまった。ガンを宣告されたというのに、わずかな動揺も起こらなかった。短期間とはいえ、躊躇が取り返しのつかない状況をつくり出していないか、身が崩れ落ちてしまうぐらい心配だった。
自己完結できる病気でよかった。まして、カミさんも、子どもも、恋人すらいない端境期だった。
おまけに、山にかこまれた施設で、静かに人生を終える将来像を描いていた。
そんな背景があり、むしろ春の薄曇りの日差しが降りそそいでいるような穏やかさがひろがった。
無事、手術が成功した数日後、ねぇちゃんが見舞いにやってきた。手土産をサイドテーブルに置いたかと思うと、すごい勢いでしゃべりはじめた。
手術後の経過や今日の気分を聴いてくれるまではよかった。とにかく、ねぇちゃんは早口だ。
ぼくはゆっくりした口調なので、相づちに毛が生えたぐらいのことしか返せない。
けれど、そこは姉弟、表情で読み取れるようだ。ぼくも、その辺はよ~く承知していた。
ここからが、愉快、痛快、そう来るんかい!、だった。
「アンタなぁ、ねぇちゃん、ガンやいうさかい心配でなぁ、医学事典を買って調べたんやわなぁ。そしたらなぁ、アンタのガンって九割ほど再発するらしいで。でもな、アンタにはな、おばあちゃんやら、いろんな人が守ってくれてはるさかい、絶対に大丈夫やでぇ」
ある面、病人を前にして「九割ほど再発するらしいで」は、非常識な言葉かもしれない。
でも、あのとき、ぼくはねぇちゃんから元気をもらった。
なんでも言える関係を再確認できたし、信頼されていることが伝わってきて、ほんとうにうれしかった。
あれから転移も再発もせずに、三十年以上が経った。
偶然かもしれないけれど、ねぇちゃんの言葉は真実にちがいなかった。