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夕焼け

 福知山の自宅から、金閣寺の近くにある施設へもどる道すがらだった。
おやじが運転をして、ぼくは助手席で両足を抱えるようにしてシートベルトで押さえながら、後ろのシートにはおふくろが座っていた。
 長期入院をしていたおふくろが帰ってきてからの話だから、ぼくは十二~十三才ということになる。

 出発して十五分くらいすると、束の間の田園風景が続く場所を通る。

 夕焼けが鮮やかだった。
運転席側から差しこむ夕日が、車内の三人を照らしていた。
空は濃い桃色だったけれど、窓を通すとすこしオレンジがかっているように思えた。

 唐突に、おふくろが唄いはじめた。
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む…」
律義な性格の持ち主らしく、メロディーは正確だった。
けれど、長く結核を患っていたせいか、しっかり声を出せていなかったし、上手いといえるほどではなかった。
「カラスなぜ鳴くの カラスは山に かわいい七つの子がいるからよ…」

 ハンドルを握っていたおやじが、斜め後ろに視線を送った。
「そんな幼稚くさい唄ばっかり唄うな!」
吐き捨てるような物言いだった。
おふくろはなにも応えずに、軍歌を口ずさみはじめた。
「ここはお国の何百里 離れて遠き満州の 赤い夕陽に照らされて…」
 おやじは黙って運転していた。

 おやじは、ぼくに唄っているのだと思っていたのだろう。
この想い出がよぎるたびに、ぼくも同じ感覚でとらえていた。
おやじに怒鳴られてから唄っていた軍歌にしても、おふくろが長期入院する前、幼いぼくは子守唄としてあのフレーズを耳にした覚えがあった。

 日曜日、サポーター(ヘルパー)のSくんとアーケードを歩いていると、
「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む…」が流れていた。
 すると、久しぶりにあの車の中の光景を思い出してしまった。
記憶を彼に伝えるために、脳を凝縮させるような感覚で意識を集中させながら、ひと言づつ話していると、あのときのおふくろの思いに対する別の気持ちが湧いてきた。

 ぼくにむかって、唄っていたのではないのかもしれない。
あまりに夕焼けが鮮やかだったから、口ずさんでしまったのではないか。
そのあとの軍歌にしても、おやじへの感情をおさめるための迂回ではなかったのではないか。

 おやじとおふくろの記憶では、どうしても消せないものがもう一つある。
五才ぐらいだっただろうか。
 ぼくは、寝床でお布団をスッポリとかぶっていた。
まだ、それほど眠くはなくて、天井の裸電球を眺めながら考えごとをしていた。

ぼくは古い記憶の限界のころ、おやじとおふくろといっしょに店の二階で寝ていた。
 階段を上がる足音がして、すぐにふすまが開いた。
おやじは部屋へ入ってくるなり、目の前に小さな黄色い箱を差しだした。
森永のキャラメルだった。

 ぼくの手に持たせようとしたとき、おふくろがサッと取り上げた。
「パチンコで取ってきたようなもん、やすしにやらんといて!」
きつい響きだった。

 それからのことは忘れた。

 一時期、楽しかった記憶しか浮かばないときがあった。
なんて能天気なんだろうと、自分でもあきれていた。
 でも、最近になって、意識に潜りこんでいたような心触りの光景を思い出せば、頬のゆるむものは数少ない。

 アーケードでの「ぎんぎんぎらぎら」がきっかけになって、家に帰ってからもサポータのSくんといろいろな思い出を話した。
彼はダークな話題になっても、自分自身と相手の気持ちを引き取って、濁りを浄化させる力を備えているのではないだろうか。
 おたがいを語っているうちに、どこかさっぱりした感情が手足のすみずみにまで広がっていくみたいだった。

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