彼の価値観
それほど親しい関係ではなくても、顔を合わせる期間が短くても、ぼくの心に足跡を残した人は多い。
その朝、ぼくはいつもより家を早く出て、役所の障害福祉課の窓口にたどり着いた。
いまから二十年近く前、ぼくはまちの小さな障害者の作業所の責任者らしき立場にあった。
ぼくが山にかこまれた施設からこのまちに暮らしはじめたころ、四十ヶ所あまりの小さな作業所が営まれていて、その運営費のほとんどは市が単独で補助していた。
二十世紀に別れを告げるころから、少子高齢化や財政改革が社会的な課題にあがり、政治の争点にもなりはじめていた。
こうした背景によって、障害者の小さな作業所も、資産などのハードルが下げられた社会福祉法人への移行にむけての流れが加速し、「障害のある人とない人がともに働く場」をめざして立ち上げられたぼくのところも、他人事ではなくその方向性について決断を迫られることとなっていた。
無認可(法人格をもたない)のときは、いまから考えてみると、市の補助金によって運営されているようなものだったから、いろいろな部分での裁量は広かったけれど、社会的にみれば、法人格を取った現在とそれほど変わらないのかもしれない。
ただし、国の障害者福祉制度に組み込まれ、サービスを利用するもの(障害者)と支援するもの(健常者)にはっきりと区別されるようになった。
だから、事務などの煩雑さが増した目に見える部分だけではなく、「ともに働く」を基本に取り組んできたぼくたち(noteで複数形を呼称で使ったのは初めてではないだろうか)は、想いと制度の狭間で喘いでいる。
特に、若い人たちに「伝える」ことは難しい。
話はもどる。
法人へ移行した当初、ややこしい事務手続きと制度を理解することにてんやわんやだった。
移行した作業所も同時期に集中していて、行政も大変だったようだ。
いくつかの不明点を聴くために、役所へ足を運ぶことも日常だった。
あの朝の前日、障害福祉課の担当者に電話をすると、実際に会って話したほうがよいということになり、気持ちよく時間設定も済ませることができたのだった。
窓口対応の職員に声をかけた。「しばらくお待ちください」と、部屋の奥へ入っていったかと思うと、すぐにもどってきた。
そして、申し訳なさそうに「大阪府の方が来られているので、すこしお待ちください」とのことだった。
それは、いたって当然の対応だった。
ぼくはゆっくり待つことにして、ロビーへ電動車いすを方向転換させようとしていた。
そのときだった。窓口対応の職員が席へ着こうと背を向けたのと入れかわるように、髪の毛をかきむしりながら、約束を取りつけていたYさんが駆けよってきた。息をはずませながら。
Yさん、
「わるい、わるい、大阪府の人間が急に来よって」
ぼく、
「待たせて大丈夫なんですか?」
Yさん、
「そらぁ、先にアポを取った者を優先させるのがこの世の道理やろ」
ぼく、
「ほな、早いこと済ませましょ」
誰とでも世間話に花を咲かせるぼくが、このときばかりは極力早口に、目と耳だけではなく鼻の穴までひろげて、Yさんの説明を聴き洩らさないようにみぞおちに力を込めていた。
Yさんはまもなく、役所を退職された。
入力していたNくんが「こういう人はやっぱりはよ辞めるんかな」と、軽くつぶやいた。
けれど、事実は違ったようだ。年齢より若く見えたYさんだが、定年を迎えていた。
ぼくが尊敬するジェンダーの課題に取り組むKさんが聴くと、うっすら笑みを浮かべながら握りこぶしを振り上げそうだけれど、Yさんこそ「男気」のあるひとだった。