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木蓮の花開くころ

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ここでは、かっこよくない障害者のぼくの半生を語ります。そこで出逢った友人はかけがえのない財産です。
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#高橋源一郎

犬小屋にて

 ふたりとも、ずいぶん酔っぱらっていた。 住宅街のこじんまりとした焼肉屋で、好物の塩タン…

なつかしい人

 彼は、物腰のやわらかな青年だった。 その性格と同じように、体を抱えるときも、スプーンを…

雪がくらくら降っている

 幼いころ、ぼくが過ごしていた奥座敷には掘りごたつがあった。 生まれ育った福知山は盆地だ…

まちを歩く

 梅田や難波の雑踏を歩くようになったころ、最初に思いついたテクニックがあった。  ぼくの…

教室にて

 隣の席のK子が、ぼくの肩をポンポンとたたいた。ハッとして顔を上げると、M先生が目の前に立…

がんばるということ

 Yさんと出逢うまで、せわしなく動きまわる人をみると、「そんなにがんばらんでも、ゆっくり…

いつもと同じように

 ちょうど大阪でひとり暮らしをはじめて、一週間目の夜だった。 その日、わが家の泊まりは、当時おつき合いしていた女性だった。  ぼくが住んでいた文化住宅のお隣りは、二世帯住宅で、年配のご夫婦の息子さんは障害を持っておられた。  そうしたご縁もあって、越してきた早々からご厚意にあまえさせていただいていた。  ボランティアさんよりも先に帰宅したときは、部屋の中へあがる手伝いをお願いする日もあったし、ついでに冷蔵庫の麦茶を飲ませていただいたこともあった。  あの日、手伝っていただ

八百円の記憶

  五歳のころだっただろうか。  あの時期、ぼくはおふくろを「おかあちゃん」と呼んでいた…

人生最大級の鮮明な記憶

 R15指定などと制限しなければならない世の中になってしまったのだろうか。たぶん、大丈夫…

若草のにおいがした

 美和ちゃんがベッドのそばへ来ると、いつも若草のようなにおいがした。  牛のような穏やか…

「京都の秋の夕暮れは…」

 たしか、夏休みの最後の夜だった。  あくる日、提出しなければならない宿題に悪戦苦闘して…

怒らない

  給食が終わり、ぼくはY先生に声をかけた。すぐに立ち上がり、ゆっくりとそばへ来てぼくの…

電話だけでもかまわない

       夕方、姉に電話をかけた。noteの中に登場することを了解してもらうために。  去年…

別れのとき

 八歳から三十六歳まで、養護学校の寄宿舎をふくめれば、二十八年間も施設で暮らしつづけると、たくさんの人たちがぼくの傍らでこの世を去った。    最初の施設では、同世代の子どもたちのほとんどが寝たきりで言葉が話せなかった。きざみ食やミキサー食が大半だった。  ずっと酸素テントから出られない人もいた。    言葉が話せなくても、ギャグやダジャレをとばすと全身をつかって笑う何人かがいた。  プレールームといって、昼間はひろい部屋にマットが敷かれ、寝たままで食事をしたり、テレビを観た