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最初で最後のホームラン

こんにちは。
「 #アスリートの書く習慣 」の三回目です。今回のお題は「競技経験で1番嬉しかったこと」です。

昨日までは、"ソフトボールをしたことでたくさんの仲間に出会えた"ということについて書こうと思っていましたが、ソフトボールそのものとは関係がないと思ったのでやめにします。

さて、本題に入ります。
私は高校以来11年間ソフトボールをし続けています。そのうち、競技スポーツとして行っていたのは高校と大学(学部生)の7年間です。楽しみながらも一生懸命勝利を目指していました。近畿大会出場、インターハイ出場など、嬉しかったことも多くありましたが、一番は大学4回生の春に打ったホームランです。ベタですね。

その日の対戦相手は大阪工業大学。最初の打席は外角の球を空振り三振しました。対戦相手の右腕とまったくタイミングが合っていませんでした。

ボール球(チェンジアップか)。完全に崩されている。打てる気がしない。

第2打席は先頭打者として迎えました。先の打席が情けなかったので、後輩から活を入れられました。
「まつのさん!三振はダメっすよ!初球から(打ちに)いきましょう!」と強めに背中をたたかれて打席に入りました。

とりあえず初球から振るか、というような気持ちでバットを振ってみました。内角高めの速球で、バットの根っこに当たり、右中間方向にふわりと打球が上がったような気がしました(周りの人から聞くとラインドライブだったらしい)。
嫌な感触が手に残りながらも、ヒットにはなるだろうと思いながら一塁へ向かいました。すると驚くことに、打球が落ちません。ついに右中間フェンスを越え、ホームランとなりました。打った私が一番驚きました。

ホームインしたまつの。打った瞬間の写真はない。

チームメイトに迎えられ、祝福を受けました。なかには泣いている後輩もいて驚きました。「努力の成果がでてよかったです」といわれたかな。

そこまで喜んでくれた一人は、全体練習後にほぼ毎日ティー打撃につきあったくれた後輩でした。トスされたボールを黙々と打つ。高め、低め、叩きの練習など、私は多くの注文をつけたし、それに応えてくれました。あの練習があったからこそ、私は打てたと確信しています。

ほかにも、後輩たちにはたくさんお世話になりました。守備が絶望的に下手だった私に、ゴロ捕球、フライ捕球、送球など細かい練習をさせてくれました。

普通なら、そんなへたくそなんか試合から干せばいい。打つのがマシならDP(DHみたいなもの)として出しておけばいいはずです。しかし、後輩たちは私がうまくなるのを期待して練習につきあってくれました。

というのも、私の同期が3回生春に、学問に専念するため全員引退してしまい、残ったのが私だけになったためです。替えがあるならよかったのですが、もう替えがありません。また、チームは人数不足でいつも9人か10人しかいませんでした。私も引退を画策したことはありましたが「まつのさんがいなくなれば8人になるので辞めないでくださいね」といわれれば、残るしかありません。

人数が一気に減り、それまでDP起用がほとんどだった私も守らなくてはなりませんでした。「打てればそれでいい」ということはなくなったのです。

それまでは、どこか「同期が何とかしてくれる」という気持ちがありましたが、もう自分がやるしかありません。

捕る、投げる、打つ、走る。1年間みっちりと練習しました。この期間が、私がソフトボールと最も本気で向き合った期間だと思います。

その日の次の試合の打席。中堅方向へヒットを打った。

私はソフトボールが好きで、練習などでつらいとか「もう行きたくない」と思ったことはありません。好きなことをしているだけなので「頑張った」という感覚もありません。

私が高校、大学(学部)の7年間で打ったホームランはたった1本です。多い人は10本、20本と打っているでしょう。

でも、私は本気でソフトボールと向き合い、その結果を得ました。それはなにものにも替えがたい喜びだと思います。

日々練習した奈良教育大学のグラウンド。
この日はお客さんが多い。
部室。お世辞にも綺麗とはいえない。
現在はすべて解体され、新しい部室棟ができている。

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