指導メモ
こんにちは。
さて、放課後等デイサービスの職員として働いた3年間を振り返って、これまでの指導において大切にしてきたことをまとめようと思います。
キャリアの小括といった具合です。
私が大切にしてきたのは、「対話すること」「大喜利であること」「べき思考の排除」の3つです。これらは決して独立しておらず関係しあっています。あくまで私の考えなので、これらがすべてではないでしょう。
一つ目の「対話」についてです。
放課後等デイサービスには少なからず障害のある子どもがいます。しかし、障害があるからといって、子どもだからといってないがしろにしてよいことはありません。彼らには意志があり、その尊重が何よりも大切です。
私が子どもとかかわるときは、20年後に同じ言葉遣いができるかということを意識して話しかけるようにしています。権威的に上から目線で一方的にしゃべる(=speak)ではなく、互いに話し合う(=talk)ことで相手の意志を聞いて汲み取ることが大切だと思います。権威的に、一方的に、高圧的な態度をとればたちまちに子どもの心は閉ざされてしまいます。大人でも同じですよね。
障害があって言葉の理解が難しいとはいえ、過剰に子ども扱いしたり、赤ちゃん言葉を使ったりすることはよくないはずです。ある意味で友だち的に話すように、意見を求めるように話しています。
仮に、子どもがよくないことをして指導をしなければいけないときにも、一方的に叱ることは避けてきました。私よりも、むしろ子どもに話す機会を与え「なぜそれをしたのか」などの背景を探り、気持ちに寄り添う努力をしました。毎回できていたかどうかはわかりませんが、とりあえずそう書いておきます(笑)。
もちろん、誰かの心身に危害が及ぶような場面は強く止めなければいけないことはありますが、そうでなければ、ある程度落ち着いてからでよいはずです。「叱る」のも大人の勝手な都合で、子どもにとっては関係ありません。「この子のことを思って叱った」と大人はいいますが、叱らなくてよいなら話し合いのなかで反省させ、次に生かしてもらえばよいのです。
大人が無駄に叱る(≒怒る)ことで、子どもの心を閉ざさせ対立しては物事は悪化するだけです。それは大人によるパワハラでしかない。
どんな子どもにも、対話が大切です。大人には理解が難しくとも、理解しようとする努力は必要です。怒るという短絡的な手段に頼っていては、いつかそれは効かなくなります。自分と違うからといって怒っていては多様性もクソもありません。たとえ発語がなくとも、なにか意思表示はしてくれるはずです。それをキャッチできれば対話になるはずです。
二つ目の「大喜利」についてです。
これまで「怒るな」と述べてきましたが、そんな私も子どもに怒っていた時期があります。そうでなくとも抑圧的に接していた時期がありました。入職してしばらくはどのようにしてよいかわからず、子どもの良くない行動について怒っていました。
そんなとき、上司に「この仕事は大喜利だよ。うまく返さなきゃ」といわれました。そのときは「そんな余裕はない」と思っていましたが、この言葉をかみしめることで子どもたちと対話できるようになっていったのかな、と振り返ります。
「どうしてできないんだ」と子どもに対してイライラしていたことも、うまく面白く切り返そうとすると、雰囲気が和み、自分自身のストレスも減ったと感じました。
印象的な切り返しを紹介します。
私たちは、基本的に利用児童を自宅まで送迎しています。そのなかで、ある児童が「僕が送るのが最後になるのは嫌や!」と叫び始めました。以前の私なら「わがままは言ったらあかん!」といっていましたが、大喜利的を意識すると、次のようになりました。
子「僕が最後なんは嫌や!」
私「この車を最後に降りるんはだれか知ってるか?先生やで?」
子「あ、そっか。僕が最後なんちゃうんか」
かなり要約していますが、大体こんな感じです。
ほかにも「しばくぞ!」などといわれることもありますが「いや~、攻撃は効かんからなぁ」というと子どもはきょとんとしています。
あえて正面から受けず、うまく受け流したり機転を利かせて切り替えしたりするのが重要だと感じました。
三つめは「べき思考」の排除です。
放デイは、子どもを中心に据え、その子どもへのエンパワメントをしています。利用児童には苦手なことが多く、ついつい「あれをさせないといけない」「これができていない」と欠点ばかりに目が向いてしまいます。
欠点に注目すると、子どもの失敗に寛容でなくなってしまいます。ついつい怒りたくなってしまう。
だから、欠点に目を向けるのではなく「できなくて当たり前」と、ある意味諦観が必要だと思います。そもそも、なんでも完璧にできる子が放デイを利用することはないはずですよね。
利用児童は苦手なことだらけ。課題は山積しています。失敗だらけで家でも学校でも叱られ、自信を失っています。でも、そこでなんでもかんでもさせようと「べき思考」が働くと大人も子どもも苦しくなっていきます。「この子はこれができない」というのではなく、「何ができたのか」と子どもへの見方を変えるのが大事だと思いました。
そもそも、できないからといってあれこれ言ったところで、一朝一夕に結果など出ません。そんな甘いものではない。
ある意味、子どもにも自分自身にも甘くなることが必要でした。
もしも、子ども自身の課題を乗り越えさせたいのなら、「どうすればできるようになるか」、「その手立ては」とじっくり考える必要があるでしょう。即座に解決することは決してありません。
そう考えると「かくあるべし」という考え方はすべきではない。それはあくまで自分自身がそう思っているだけです。あくまで「あなたの感想」でしかないのです。
だから、ある程度許します。子どもを怖がらせるよりよほど良いと思います。
さて、そのようなことを考えていたら、私の残りの勤務日数が1日となりました。これまで書いてきたことは私の思いですが、きっとすべてが間違いではないはずです。最後の一日も、私らしく、三つのことを意識して、いつも通りやっていきたいと思います。
どんなときにも、子どもとの対話を楽しもう。
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