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やめてみた。2.仲間と創った大好きなコミュニティ

私が会社員として勤めていた頃、会社のスケジュールには、第3木曜日19:00~ 「HR Bar」と入っていた。
それは月に一度、社外の人事仲間と共に創った対話の会。
人事の仕事は社内では言えない悩みが多いけれど、社外では共通の悩みが多い。そのような悩みを話せる会として立ち上げた。
会の名前はHR (Human Resources)Bar。Barのようにゆるゆるとくつろげる会との意を込めて。
立上げ当初は6~7人くらいの人数で、お互いの自己紹介をたっぷりした。
私の自己紹介は11年間専業主婦からの未経験人事だったので、みんながそこに驚いていたことが印象的だった。
つまりキャリアがないし、もっと言うと人事職を自分で選択したわけでもない。
当時小学2年生だったさきと2人で生きていくために与えてもらったありがたい仕事だった。
おまけに人事部もなく、上司は経理部長。入社当初はできる仕事もあまりなく、来客のお茶出しくらい。笑
私が入社した頃はちょうど従業員数が50名くらいになって、新卒採用は優秀な中国人大学院生がアルバイトでやっていた。笑
その大学院生に代わって私が担当になった。それを機に人事専任第一号&ひとり人事となった。このタイミングで上司は社長に代わった。
ただ、私には専門知識もないし、周囲にも人事の専門家がいなかった。
だからいつも社長にお願いして、社外セミナーへの参加、人事の専門家を紹介してもらい指導いただき、本を読み、様々な失敗をしながらなんとか人事部を創設していった。
こんな状態からの立上げだったので、私にとって同じ目線で人事の問題解決に日々奮闘しているHRBarの仲間と会は本当にありがたかった。
人事問題も突き詰めていくと、人間とは何者か?自分は何者か?といった深いテーマになる。それも刺激的だった。
HRBarは、毎回対話のテーマを決めず、その時に話したいことを話す会にしていたけれど、不思議とそれぞれに気づきが起きてスッキリするといった会だった。しかも自分の言葉で話せる。本音で話せる。誰もが安心して話せ、学びになる。ありそうでない会になっていた。
19:00ギリギリまで仕事をして、なんとか終わらせてHRBarの開催場所である自社会議室へ駆け込む。2時間じっくり対話をしてその後飲み会。そしてリフレッシュしてまた翌日からがんばる。ときには、スピンアウト会として講師をお招きしてさまざまなアセスメントを学ぶ会もした。結構真面目に人事の話をしていた。
この会が4年を過ぎたころ、参加人数が徐々に減ってきていた。最少人数は私ともう1人の2名だったこともあった。参加していたメンバーたちがリーダーとして各会社や他のコミュニティで活躍し始め、忙しくて参加が難しくなってきた。喜ばしいこと、望んでいたことではあった。
同時に、この先HR Barをどうしていきたいかを考えるきっかけにもなった。
4年継続して、このまま解散になるのはいやだと思った。
ただ、内々で継続するより、もう少しオープンな会にしたいと思った。
私にとってもこのHRBarはなくてはならない存在になっていたからこそ、他にも同じようにこの場を必要としてくれる人がいるかもしれないと思った。既存のメンバーにそれを伝え、このまま継続すると表明した10名プラス、Facebookで新たに募って誰でも参加できるフルオープン型にした。当初は、まだ少し早いのではないか?といった声もあったし、どんな人が来るのか?にも不安もあった。でもやってみたかった。会の名称を改めようか?とも議論した。しかしすでに認知されているこのHRBarという名称は継続しようと決定した。
フルオープン初回の会には、20人ほど集まった。人事職以外にも、マネジメントや部下育成をしている人たちも集まってくれて多様性になった。多くの人たちと出会え、仲間も増え、フルオープンにしてよかったと思った。
それから2年が経ち、2019年11月にHRBarは6周年を迎えた。開催回数は70回を越えていた。
私は皆勤賞だった。きっとこのまま10周年も迎えるかもなぁ。そうなるといいなぁ。と思っていた。
それなのに、6周年から3か月後の2020年2月、HRBarを卒業することになった。それは突然やってきた。家でトイレに入った瞬間、はっと気づいた。笑 「私が卒業するんだ」と。
しかし、今思えば半年前からその予兆は来ていた。卒業の理由が半年前のそこにあった。

卒業する約半年前の2019年9月。HRBarメンバーと弓ヶ浜合宿へ行った。
3年前から1泊2日の合宿を始め、今回で3回目。初回は3名、2年目は5名、3年目は9名と人数も増えていった。
弓ヶ浜の海でアーシングをした瞬間に至福がやってきた。
「最高の仲間」と「自然」がセットになると、私は最もリラックスしているのだと気づき、これが至福だ!と実感した。時が止まればいいのに、と思ったほど幸せを感じた。
何を話すでもなく、砂浜でただ座り海を眺め、足を海につける。本当に幸せだなぁと心から思った。かけがえのない仲間たち。大切な仲間たち。
そして、夜の宴会では「あなたにとってAmyとは」というテーマで全員が順番に一人ずつ、語ってくれた。
あらたまって言ってもらうのは初めてで、貴重なので録音した。笑
そこには、それぞれの自分の言葉で語ってくれているけれど、みんな同じことを言ってくれていた。
「自分自身の少し先を歩いている」
「自分の将来を映し出してくれる鏡である」
「迷ったら言葉をもらいにいく」
「迷っていることを全て整理してこっちだと言ってくれる」
「ギフトセッションが大きなターニングポイントだった」
マイルストーン、導き手、不思議な人、卑弥呼、サムライ・・・ 笑

それは紛れもない、私が進んできた道。これからも進む道だった。

そういえば、この更に半年前の冬の弓ヶ浜で「あるがままを生きる人の道しるべとして生きます」と弓ヶ浜の海に向かって宣言する機会があった。笑その時の写真を今回探してみた。やっぱり自分でそう書いていた。

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その通りになっていた。弓ヶ浜恐るべし。笑

フルオープンにしてから対話が深まらないという感覚があった。
濃厚HRBarとしてコアメンバーだけの会を四半期に一度開催するようにした。そしてフルオープンにして2年がたち、6周年を機に、またクローズドにした。フルオープンでも、クローズドでも、本質はそこではなかった。外側を変えるよりも自分の内面を見ていく必要があった。

私はこの大好きな会を卒業する必要があると思った。まさか卒業する日が来るなんて。あまりにも突然だった。寂しさもあった。
でも決めた。
なぜなら、みんなが言ってくれる通り、私があるがままの自分で生きることが、道なき道を創り続け、歩み続けることが、私の人生そのもの。そして、みんなへの貢献になる。
まさに諸行無常。「この世の一切は続かない、すべて移り変わって行く」
ちょうどこのとき、エグゼクティブコーチングをしているお客様の価値観を伺っているときにも同じメッセージがでてきた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(方丈記)
いい言葉だなぁと思った。散歩で流れる川を何度も見ながら、HRBarが解散することになるかもしれない、形態が変わるかもしれない、それも含めて全て受け入れる、と覚悟もできた。
居心地の良い世界にはずっといたい。けれどもそこから一歩踏み出す勇気も持ち続けたい。
そして、大切な仲間、大切なHRBarを手放した。
それをみんなに伝えた。みんな驚いてはいたけれど、自分の言葉でしっかりと伝わってくるメッセージをくれた。
理解してくれたと私は受け取った。
このHRBarがあったから独立もできた。たくさん感謝している。
どこかの星に行ってしまうわけでもなく、個人的なお付き合いは続くけど、コミュニティはおわり。
そして私は次の世界へ道を創る。6年間、本当にありがとう。

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