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苦行と自己探求のおわり。
ずっと、私は何者で何を成し遂げる者か?を探求し続けて来た。
この自己探求を生涯かけてやっていくのだと思っていた。
それが、仕事にも直結すると思っていたので。
しかし、自己探求は終わり。という感覚がある。
なぜなら、「私」はエネルギーを注ぐところはそこではないという感覚がある。
先日も、ある人が悩みを皆に話していたけれど「それって、自分でやめる!と決めるだけなのになぁ~」と思った。
本人が自分の人生をどうしたいか。
本当にやめたいことなら自分がやめればいいだけ。
本当にやりたいなら、やる!と決めればいいだけ。
自分のエネルギーを消費しているし、アドバイスをしている人たちのエネルギーを奪っている。それが人というもの、ということも分かっている。散々私もやってきたから。笑
しかし、自分にオーナーシップを持っていたらこのような悩みは無い。
自分で選択して、決断したことに責任を持つだけだから。
自己探求も、結局自分のためだなぁと思った。その名の通り。笑
自分の理想とする世界と現実が異なると、ギャップに苦しめられる。
そのギャップを埋めようと内省する、自己探求する、ということをし続けていた。
そりゃ苦行と自分にはみえて当然。
でも、それは低いエネルギーのまま解決策を見つけているだけ。小さい自分のため。
そこには終わりも根本的な解決もない。
もう「私ドラマ」にエネルギーを注ぐのはやめよう。苦行を創り出すのをやめよう。
悩みが現れたときは、私のドラマが幻想を観せているだけと知っているから。
余談だけど、今エグゼクティブコーチングでクライアントから出たテーマが「決める」こと。だった。笑
この記事を書いていたからか?
本当に私のドラマが繰り広げられているなぁとまた実感した。
これも余談だけど、先日Uber eatsを初めて依頼した。バイクが今ここを走っています、って地図アプリに出るのが何かのゲームっぽくて面白いと思った。人生もこのように私を上空から見ていればいいのかなと。イメージが出来た。ちょっとわかりにくい例えかな?
私は存在しているだけ。目の前に現れた大切なことにエネルギーを注ぐだけ。