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「受け取る」ことの真の意味
「受け取る」とは実は奥深い。
人は褒められても素直に受け取ることができない。
その理由は様々で、お世辞と思う場合や、謙遜する場合、自分の意図とは異なる点を褒められた時、自分の事がよく分かっていない場合など、それぞれだと思うけれど、いずれにせよ、受け取るということは難しい。
素直に受け取れる場合でも、それは「自分のため」であることが多いと思う。
「受け取る」って実は奥が深い。
以前、誕生日のメッセージを頂いて、
喜んでいた私に娘が言った一言を思い出した。
「お祝いメッセージをもらって、嬉しい!と喜んでいるだけではだめなんだ。そこには相手のニーズがある」
と。
先日、毎月開催して6年になるコミュニティを共に創ってくれている大切な仲間達と、南伊豆の弓ヶ浜で一泊合宿に行った。
そこで、真の意味での「受け取る」とはこういうことだと分かった出来事があった。
合宿は最高の時間となった。
私はこの仲間達が本当に大好きで、とても大切。
彼らが困った時は全力で助けると決めている。
とても個性的な面々で、ユニークかつ人としても素敵で、優しくて、優秀。
それぞれ仕事でも活躍し変革を起こしているリーダー達。
なのに、謙虚。とにかく波長が合う。
私の抜けっぷりもよく知り、私のままでいさせてもらえる。
合宿先のオーナーでもある仲間も、リーダーばかりが集まっているこの会を不思議がっていた。
「あなたにとってAmyとは?」
との問いをオーナーが投げかけてくれ、一人ずつ、自分にとっての私を話してくれた。
しかもみんな、言葉の表現は様々だけれど、内容は共通していた。
・自分の人生を生きるきっかけを与えてくれた
・自分の人生を生きる導き手である
・安心して甘えられる
他にも
・サムライ
・卑弥呼
・リーダーを現す人
・リーダーの中のリーダー
・不思議な人
以前にも、私を成長させてくれている人(この人の話もいずれしたい)から
「周囲の人たちは、Amyの言っている言葉というよりも、Amyが自分の人生を一生懸命生きるその姿に惹きつけられているのだと思う」
と言ってもらったことを思い出した。
今回もらった言葉、過去にもらった言葉、全てを受け取ることができた。
これは私のため、という感覚ではなかった。
これらを受け取って、引き受けて、この役目を果たすこと。
私のため、だと褒め言葉でしかない。
もっと大きな役目を果たすため。
学校で、学級委員長に任命された感覚と似ているかも。
学級委員長になる私がすごいのではなく、まわりは役目を果たして欲しい、あなたが適任だから。といった期待、ニーズなのだ。
だから私はこのまま人にオーナーシップを持って生きるきっかけと、導き手として楽しんで生きる!ことで仲間達からの言葉をしっかりと受け取る。