「父の生きた時代」を想う 11
再建
会社の再建にあたり、父は「もう小さくやろう」と母にいったそうだ。
倒産した時父はたぶん45歳ぐらいだったと思うが(つまり再建した時もそれぐらい)前の会社では工場を買い、人を多く雇った。おそらく印刷機を買うために借金をし、そのために他人の連帯保証人にもならなければならなくなった。40代の後半になってからの再起業には、もう大きなお金を借りたくない、という想いがあったと思う。
このバタバタしていた頃だったと思う。後に母が話してくれたのだが、あまり自分のことを話さない父がポツンと子供時代の話をしたそうだ。
小学生のころ疎開先で終戦を迎えた父たちはそのまま横浜の自宅に戻れなかった。詳しいことはわからないが、祖父が財産を失って失踪したらしい。小学生の父は一家の大黒柱になってしまった。そんな頃、父から見た祖母が亡くなり、父の母親はお嬢さんで育ったため何もできない人で、父は横浜の父から見て叔父(父の母親の義弟)に電報を打ってきてもらい、ふたりで遺体を大八車にのせて火葬場に運んだ・・・という話だ。母は涙目で「お父さんって本当に子供の頃から苦労してたのよね。でもそんなこと一切顔にださないで・・・」
このエピソードは家族葬の”お通夜”に、自分の話をしない昭和の男であった父の数少ないエピソードとして、姪たちと語った。
最初はもしかしたら、印刷企画だけにしようとしたのかもしれない。しかし時代は父が最初に起業したころと異なり(10年ぐらいしかたっていなかったはずだが)どこのオフィスにもコピー機が入った。そこでやはりコピーよりグレードの高い印刷を安価に提供できないか・・・と考えた、のだと思う。
父は「オフセット印刷機」に目をつけた。
事務所の中におけるような小さな印刷機だ。これをリースして事務所の中に置き、名刺や封筒など小さなものをする「街の小さな印刷屋」を目指すことにした。
今考えれば、賢明な方針だ。しかし子供心にちょっと不満だった。常に母から「お父さんは偉いんだよ」と尊敬することを強要(?)されていて、自分たちも実際そう思っていた。倒産する前父の友達でやはり印刷会社を経営しているS家と交流があった。よく関係者で父がゴルフにいくときにもそのSさん夫婦がいたし、娘二人が我々と同年代だったので、週末家族で遊びに行った。S家はある日、大きな建物を工場にするために購入し、”職住分離派”のうちの両親とは異なり、その2階を自宅用に改装した。そして引っ越しの日に、一家で手伝いに行った記憶がある。1階が印刷工場になる建物だから2階は探検のしがいがあった。子供4人は、まだ倉庫やらオフィスにしていたと思われる2階の探検に夢中になった。その次に訪ねて行ったら、すっかり改装されていて広々とした住まいになっており、まだ弟と2段ベッドで一つの部屋を仕切って使っていた身にはとても羨ましかった。
小さな印刷屋をめざすということは、もうあんな大きな工場で社員の人たちに「社長」と呼ばれる父を見ることもなく、(倒産して家が残ったのだけでもとても幸せだったのだけど)今より広い家に住む可能性もないのだろうなと思い、子供心に少し寂しく思った。
オフセット印刷機をいれるために借りた新しいオフィスは台東区で、倒産前の千代田区と比べると、まわりも町工場だらけだった。横に引くガラス戸が通りに面した1Fで、入ってすぐのところにオフセット印刷機や紙を置き、細長い事務所はあまりオシャレではなかった。オフセット印刷機の使い方を覚えたのはなんと母だった。確かに大雑把な父にはできない。これで母は経理と版下作成から印刷まで全てを担うことになった。
父にはひとまわり年下の弟がいて、私が生まれた頃まだ学校にいっていたので、なんというか叔父というより歳の離れた兄貴みたいな存在だった。実際、彼は自分の父親とほとんど接点がなく、父が父親がわりだった。この叔父はうちが倒産した頃は米国に単身赴任していたのだが、娘が足か腰の手術を受けることになり、その間息子の世話があまりできないからと、こともあろうに2歳ぐらいの息子をうちに預けにきた。私と弟は突然家に投げ込まれた赤んぼの世話におわれ、(よく泣く子だった)子供心に本当はショックだったはずの”倒産した”という事実をすっかり忘れた。
その数年後、「JFKまで一人で来られるなら夏休みに米国に遊びにきてもいい」といって航空券を送ってきてくれた。その頃叔父一家はボストン郊外に住んでいた。80年代の後半は日本人は観光ビザが必要で、飛行機は成田からNYCまで直接飛べずアンカレッジで給油していた。叔父は滞在中職場にも連れて行ってくれた。小さな町工場で印刷をしている父と、映画でみるような米国のオフィス。自分が将来どうしたいかは明らかだった「絶対、会社経営なんてしない。サラリーマンになる」
しかし叔父はことごとく父の話をした。ラジオをつけてジャズが流れると「お前知ってるか?兄貴はこの曲が好きなんだぞ」
そしてある時いった「俺はサラリーマンだが、兄貴は経営者だ。お前の親父は立派なんだぞ。もっと尊敬しろ」
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