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中学生のころの話~タチ悪女の暴走~


どうも、Walkie-Talkie AIです。

まず、私のこと初見ですという方はこちらへ!

前回はタチ悪女の完成ストーリーをつらつらと書いてみました。

「誰が興味あるねん!」という内容だったのですが、過去の自分をアウトプットすることで自分が何を経験してきたのかを整理しようという個人的な計画、そしてそこから気づいた私なりの「コミュニケーションの在り方」を考えるうえで避けられないことですので、「誰が興味あるねん!」と思ってもらえたら勝ちやなと思っています(笑)

そんな前回はこちらから⇒タチ悪女の完成


なんと早いことに小学生ですでにタチ悪女へと成長したわたし。

中学生は暴走します。(笑)
どのように暴走してきたのか、その暴走っぷりをご一読ください。


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中学校は2回転校、計3校に通っていた!?


もうこの時点で結構珍しいというか、なにかあったんだろうなとお察しください。

なにかあったんです。

1年生の頃は運よくテニス推薦で私学へ入学したものの、学校と合わず夏休みで退学。
秋学期から1年生最後までは転校して公立高校へ。
そして2年生からは、再びテニスができる環境が整った私学へ転校・編入。

引越とかならまだしも、全部自分都合というところがもうすでにタチ悪女感。

2年生で転校した学校では高校卒業までお世話になることとなります。



転校生のくせに


このタイトルだと「いじめにでもあってたのか」と思われそうですが、そうではなく当時の私に一言言うならこれだなという一言です。

1年生のころの記憶はあるけど別にそんなにおもしろくないので、最後の転校先での話を少し。

中学2年生から高校卒業までお世話になることになるC中学校(3校めだからC)では、1年生の頃の担任が諸事情でお休みになり、2年生から担任が変更されたばかりのクラスでした。
当時は、1学年1クラス全学年で3クラスしかない少人数制学級推奨の学校で通常であれば3学年担任持ち上がり式。
(1年生時の担任がめちゃんこ怖い先生だったので担任替えでラッキーだったとみんな喜んでた(笑))

1年生から在学のクラスメイトたちは、2年生から私含め5人の転校生と新しい担任を迎えることに。

そのうち4人はわたしたちテニス部で、さぞうるさかっただろうと思います。もう1人一緒に編入してきた子も芸人並みにおもしろかったので、どちらかというと勉強クラスだったところに、やかましい5人がメンバー入りした新生2年生でした。

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担任とクラスのみんなも初めましてで、最初の1か月ぐらいはお互い探り合いだった気がします。(もうずいぶん前なので記憶曖昧)

そして探り合い期間では若干タチ悪女が封印されていました。

このタチ悪女、中学1年生の1年間で2回転校をして何をしたかというと、「人からよく見られたい」という感情を芽生えさせるというタチ悪女をこじらせておりました。
これまで6年間通った学校に別れを告げ地元を離れて通学する中で、(ある意味社会に出ていくなかで)何を感じたのか「人からよく見られたい」という感情を抱いていました。なので、猫を被るということを習得。

そして探り合い期間終了とともに徐々に本領発揮。


ちょうど、同級生たちも若干の反抗期を迎えており、先生に意見を申し立てる仲間がちらほらいたこともあり、安心してタチ悪女が顔を出しました。

1回顔を出すともう何が何でも顔をひっこめませんので、ここからが担任としては地獄だっと思います。


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そこからはことあるごとに担任に反抗し、気に入らなければ教室を飛び出し目の前の保健室へ。

なぜか担任にしかタチ悪女は顔を出さず、移動教室や分割教室などでの担当の先生とはスーパー仲良しでした。


担任限定のタチ悪女。
最初は本当に気に入らないことがあると出てくるタチ悪女でしたが、どんな知恵を働かせるとそうなるのか、「この反抗期も義務教育が終わる中学卒業まで」と、勝手に期限を決めて高校に上がるまでこのタチ悪女でいくと決めました。

今振り返ってもなんでかわからない。(笑)


そして、同級生からの冷ややかな視線を気にせず、転校生のくせに思う存分担任に反抗をしまくるのでした。
(担任変更がなければおそらくおとなしかっただろう。(笑))




学校1番(当時)の事件~タチ悪女の暴走~


義務教育が終わるまで反抗期をする!と決めたタチ悪女は、本当に気に入らなくて反抗しているときもあれば、「先生ごめんね」と悪いとわかっていて無意味な反抗をするときもありました。

だから毎日タチが悪かった(笑)


そんな中で、おそらく(当時の)学校1番の事件であろう、「タチ悪女失踪事件」を起こしました。

今となっては、母校に遊びに行ったときの笑い話で今もネタにされる事件です。


それは中学3年生の時。
そろそろ高校生になる心構えをという秋ごろだっただろうか。

タチ悪女の本業である反抗という仕事をし、これまでは大目に逃してくれてた担任も高校に上がる準備をという想いから、初めて生徒指導室に私を呼んだ。
(担任は中高兼務の生徒指導室の担当だった)

お昼休みに呼ばれて、担任と話したのを覚えている。

「もう高校生になるんだぞ。高校では今までのようなわがままは通用しない。」とコンコンと言われて、すべてを理解して義務教育まで反抗期と決めている私は、「わかってるわ!」とまた謎の反抗。(笑)
これの無限ループだった。
(完全にわたしが悪い)


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5時間目に入る直前、担任が他用で席を外すことに。

「チャイムが鳴ってもまだ話は終わってないから授業に行かずにここにいなさい。」

そう言われても5時間目は大好きな音楽の時間。

もちろん、担任が部屋を去った後に私も部屋を後にして音楽室へ。(笑)


ここからが大変!


担任が戻ると「ここにいろよ。」と言ったはずの私がいない。。。

教室にも運動場にも、いつもの保健室にもいない。

中学の職員室にいる先生全員による校内捜索が始まりました!(笑)

あとから聞いた話、手分けをして先生同士で携帯で連絡を取り合いながら捜しまわったらしい…


5時間目は音楽だということで「まさか!」と音楽室に顧問が来て、私は見つかりました。

そして再び生徒指導室へ。


怒られると思っていたが、わたしが見つかったことがよかったと言う担任を前に、これまでの行動を心のなかで反省。


しかし、素直じゃない私は、「だってチャイムが鳴ったら授業に行かないと。」という、張れてない意地を張っていました。



タチ悪女の卒業、あとがき


それからというものの、計画的タチ悪女はちょこちょこ顔を出しながら、毎日たのしく最後の中学校生活を楽しんでいました。

その頃にはこのタチ悪女とのお別れが近いことを自分に言い聞かせ、高校生になる心の準備をし、高校生になったらみんながびっくりするぐらい真面目になろうと決めていました。

計画的タチ悪女の一番タチが悪いところかもしれません。


そして、無事に中学卒業と同時にタチ悪女も卒業!

高校の入学式を経て、高1のクラスの担任はまさかの中3の時の公民の担当だった先生。ということは、タチ悪女を知っています(笑)

でも、心を入れ替えたタチ悪女は当時の荒々しい反抗は高校3年間で一切見せませんでした。

心配だったのか、中学の担任だった先生も違うクラスだったけどそのまま高1に持ち上がってきました(笑)高2まで一緒だったので修学旅行にも一緒に行きました。

「あの時のあれはなんだったんだ」

と恨み節を笑いながら言われました(笑)

タチ悪女はなんと学級代表やいろんな委員を担当し、委員じゃなかったときはありませんでした。

最後の卒業式のときには、初めての取り組みの保護者へのサプライズ挨拶の号令を任され、今も続く伝統の第一人者となりました。


中学のときのタチ悪女時代の反省と、しっかり育ててくれた先生方に恩返しがこれでできているのかはわかりませんが、迷惑をかけている・かけた自覚は十分にあったなかでのタチ悪女だったので、変わった姿を見せたい。その一心でした。

中学の時にかかわってくれたみんなのおかげで、高校の3年間は本当に楽しかったし色々客観視しながら勉強以外のことも学べた時間でした。


今こうして振り返りながら思うのは、当時はただただ甘えたかっただけ。

コレに尽きます。

おそらくそれを分かって、思いっきり甘やかしてくれた当時の先生方には本当に感謝しかありません。

あの時の時間がなければ、こうしてコミュニケーションというものを考えることもなかっただろうし、自分を客観視することもなかったと思います。


家庭環境やクラブチームでの生活など、一番多感な時期にいろいろな経験をしすぎて、自分ができることとしたいこと、求められていることと求めたいことのバランスが取れていなかったように思います。


でもこれは私だけではなく、きっと多くの人が気づけているようで気づけていないことなのかなと思ったり、そうじゃないのかもと思ったり。


だから、私は自分の経験から「コミュニケーション」というテーマで、自分が気付いたことを発信していきたいなと思います。


反抗期うんぬん関係なく、その場から逃げ出したいときや辛くてどうしようもないとき、人間関係の悩み、マイナス思考…そんな日常的にある悩みというか心が疲れてしまったときに、見てほしいなという内容を書きたいなと思います。



私自身、まだまだ人として発展途上中。

ここでみなさんとコミュニケーションを楽しみながらのんびり続けていきたいなと思います♪

今後ともよろしくお願いいたします!




ご覧いただいた皆様へ


あくまでの独りしゃべりの場ですので、誹謗中傷はお控えください。
最悪のタチ悪女だったのも自覚しています。
このことをオープンにする理由は、私が「コミュニケーションを考えるきっかけ」となる出来事だからです。
皆さまからの改善や否定的な意見を求めるためではなく、このタチ悪女がどこまで続きどのようにして現在に至るのかを私の備忘録感覚で書き留めていて、振り返ることで今の自分の持ってる感覚的なコミュニケーションというものを再度考えるためのnoteでの発信です。

逆に今対人や対物関係で悩んでいる方やこのタチ悪女と同じような経験をお持ちの方や、一緒にコミュニケーションについて考えてもいいよという方は、コメント欄にて交流を深めたいなと思っています。

よろしくお願いします。




Walkie-Talkie AI :)









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