埋め立てられた川と橋があった場所(築地川その3)
千代橋のつづきからです。
新尾張橋(しんおわりはし)
ここはかつて旧国鉄貨物駅「東京市場駅」への貨物支線の橋梁があった場所です。この駅は1935年の築地市場の開場同日に開業していますが、1984年2月に廃止されます。隣の駅だった汐留駅も東京貨物ターミナル駅に機能を譲って1986年11月に廃止となります。貨物列車の運行は1987年1月31日まで続けられていたそうです。下の由来によれば平成4年(1993年)8月までには鉄道橋が道路橋に架け替えられています。
1861年頃の江戸図でこの場所を見ると、確かに尾張殿蔵屋舗(やしき)となっています。
由来の説明に少し補足します。この蔵屋敷を含む大名屋敷一帯は明治維新後に明治政府に接収されており、主に海軍関係用地として使用されます。その後関東大震災で日本橋魚河岸等の市場群が全壊し、その年の12月に隅田川や汐留駅といった水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地(築地居留地)の海軍省所有地を借り受けて臨時の東京市設魚市場を開設したのが築地市場の始まりだそうです。中央卸売市場として開設されたのは1935年ですが、戦後に中央卸売市場築地市場と海軍経理学校がGHQに接収され、築地市場はGHQのランドリー施設や駐車場に、海軍経理学校はキャンプバーネスとして利用されていたそうです。築地市場は昭和30年(1955年)3月に、海軍経理学校は昭和33年(1958年)9月に接収解除となります。海軍経理学校の跡地はその後築地市場の一部となります。
正直な話、築地市場(とその周辺)は営業している時代からほとんど来ることもなく、なんとなく場所を知っている程度でした。ここまで歴史や背景を調べたのは今回が初めてで、それももと川・もと橋巡りがきっかけになるとは予想していなかったです。知らないことだらけで驚きの連続でした。何故営業している間に興味が湧かなかったのだろうとちょっと残念な気持ちです。というのは今後出てくる橋に大いに関係するからなのですが、それはまたあとで。
ちょっと横道に逸れましたのが新尾張橋に戻ります。
新尾張橋が架けられている道路(引込線が敷かれていた場所)と海岸通り(都道316号線)の合流点近くに、浜離宮前踏切の信号機が残されています。
説明は写真を拡大して見て下さい。空中写真で見ると支線の線路と鉄橋がわかります。川が埋立てられる前のほうがわかりやすいのでこちらをどうぞ。左側は貨物駅だった汐留駅で、右側は旧築地市場です。鉄橋は汐留川にもあったのですね。
尾張橋(おわりはし)
新尾張橋の由来に書いてあったとおり、道路計画により新大橋通りの道路敷となり昭和40年はじめに撤去消滅しています。上の写真には橋がしっかり写っていますね。
南門橋/大手門橋(なんもんはし/おおてもんはし)
浜離宮恩賜庭園入口に架けられている橋です。築地川で唯一埋め立てられていない水路に架けられている唯一の橋梁です。つまりこの水路が正真正銘の現存する「築地川」です。
浜屋敷は寛文9年(1669年)頃までには出来上がっているので、橋の創架もこの頃だろうと言われています。現在の橋は大正15年(1926年)1月に架け替えられています(つまり震災後の架け替えです)。橋の名称は何度か変わっているようです。南門橋については、海軍省用地だった頃の呼び方で、築地川東支川にあった「北門橋」に対する名前だったそうです。「大手門橋」は文字通り、大手門手前に架けられている橋だからでしょう。
実はこの次の水門の写真を撮るために、浜離宮恩賜庭園に入園しました。目的はさておき(笑)素晴らしい景色を堪能できていい時間を過ごせました。広いから砂利道を歩くのはけっこう大変でした。昨年の突発的な皇居東御苑巡りに続く史跡散歩。時間が足りずすべてを回り切れませんでした。日が暮れては他の取材に影響が出てしまうので早めに退散しました。
築地川水門
ひとつ前の大手門橋もこの水門も、水路として存在する築地川にあるので、この記事に載せるべきかは微妙なところなんですが、せっかく築地川を取上げているのだから河口も見たいではないですか。というわけで、少額とはいえ入園料を払って浜離宮恩賜庭園の中から写真を撮ってきました。これが築地川水門です。
これで築地川主流はおしまいです。
ところでこんなのをご存じでしょうか。中央区の「築地川アメニティ整備構想」に向けた動きがあるようです。都心環状線の築地川区間の蓋掛けです。
下は、入船川の取材をしていた今年の10月半ばにたまたま新金橋を渡った時に気づいたものです。(何度も通っているから)前はこんな立て看板はなかったと近づいて見たら新京橋連絡路の事業に関する内容でした。
この件は「新京橋」つまり京橋川(その2)の記事で取上げていて、ああアレかと思ったのです。
車を運転しない自分にはあまり関係のない事とは思いつつ、これから景観などにも変化がでてくるのでしょう。