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埋め立てられた川と橋があった場所(竜閑川その1)
そのまま築地川に行くかと思いきや、ちょっと方向転換します。今回は戦後の瓦礫処理で埋立てられた川です。
この橋・川の名前にも表記ゆれがあり「竜閑」と「龍閑」の2種類が存在します。「龍」が旧字、「竜」が新字と言われていますが、その違いだけなんでしょうか。日本橋川(外濠とも言う)の河口とこの掘割の近くに、江戸城殿中接待役の井上竜閑が住んでいたことが名前の由来らしいので、人名が由来ならその人がどう名乗っていたかでわかりそうなものなのに…。
この記事ではWikipediaに則り「竜閑川」とします。古地図を見ても川の名前はこの表示のほうが多いように思います。龍閑が固有名詞として残っている場合はそのままとします。
日本橋川を回った時に「竜閑さくら橋」という橋がありました。その時はさして気にもならなかった竜閑という名前ですが、戦前まではそのすぐ近くに竜閑川という川があり日本橋川(外濠)に合流していたことを後で知りました。
竜閑川は明暦の大火の後に築かれた防火堤防の周辺が火除地として空いていたところに町人負担で元禄4年(1691年)に開削された掘割でした。一旦埋立てられるも明治16年(1883年)に再び開削。戦後の瓦礫処理のため水路としての役割を終えた川が埋立ての対象となり、この川は昭和25年(1950年)までには埋め立てられます。
その昔、この川を隔てた北側が旧神田区、南側が旧日本橋区でした。つまり川は区の境界でした。それは埋立てられた今も変わらず、川筋が千代田区と中央区の区境になっています。細い道を通りながら、左右が違う区であることを楽しみつつ、かつての川の場所を散歩してみてはいかがでしょうか。
竜閑川があった場所です。写真に見える左側の水路は日本橋川、その横を縦に走るのは旧国鉄の線路。右側の水路は浜町川。浜町川も埋立てられた川です。
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今の地図です。神田橋JCTの右にある点線が区境です。竜閑川があった場所として追うことができます。
今回は首都高速1号上野線(つまり昭和通り)の手前までです。
龍閑橋(りゅうかんはし)
日本銀行横の外堀通りを北上しJR線路の高架下をくぐってすぐのところに龍閑橋の親柱と橋桁が保存されてあります。
橋の歴史と由来は看板をご覧下さい。川名は橋の名前に由来するのですね。
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龍閑橋について
この橋は 大正15年(1926年)に造られた日本最初の鉄筋コンクリートトラスの大変めずらしい橋です。
これを記念するため その一部をここに保存します。
橋長 105
幅員 270
構造型式 鉄筋コンクリートトラス桁
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見た目としてはない方がいいんですけど
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橋の名前が残っています
白旗橋(しろはたはし)
龍閑橋の隣の白旗橋は、JR高架橋のちょうど真下あたりに架けられていた橋です。
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かつてのこの辺の町名は本銀町(ほんしろがねちょう)といいました
西仲之橋(にしなかのはし)
西仲之橋は日銀通りとの交差点に架けられていた橋です。左右の住居表示でここが区境とわかります。右は中央区日本橋室町四丁目2、左は千代田区鍛治町一丁目5となっています。(この先出てくる東中之橋ともに、中ノ橋、中之橋という表記もあるようです。)
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今川橋(いまがわはし)
西中之橋からまっすぐ進むと、中央通りに出る手前にこの碑があります。
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こちらには「龍閑川」となってます
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中央通りです
東仲之橋(ひがしなかのはし)
中央通りと昭和通りの間の東中之橋があった辺り。川筋はビルとビルの谷間に細く続いています。
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つまり昭和通りです
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遠くにみえるのは大手町の高層ビル群のようです
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今回の川に関わっている千代田区と中央区。千代田区は旧神田区と旧麹町区が合併し1947年にできた区で、中央区は旧日本橋区と旧京橋区が合併してできた区です。このことを橋巡りをするまで知りませんでした。自分にとって東京は23区で固定だったので、練馬区のない22区時代や、35区時代、東京が府だったり市だったりの時を何も知りませんでした。
この2つの区の共通点というか、住所が日本橋○○町(例:日本橋室町)だったり、神田○○町(例:神田神保町)など、いちいち日本橋だの神田だのが付くということには気づいていましたがその理由を知りませんでした。合併した時に旧日本橋区の町に「日本橋」、旧神田区の町に「神田」という冠称を付けたのですね。今でも冠称のまま残っている町と無くした町、一旦無くしたのに再び付けた町、いろいろあるようです。こういうのを子供の頃に夏休みの自由研究でやりたかった。昔は何も浮かばない子でしたが、今はいろんな不思議発見があって、興味が尽きません。大人こそ自由研究をすべきと思います。
その2に続きます。