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埋め立てられた川と橋があった場所(浜町川その3)

橋本橋(はしもとはし)

岩井橋から通路をまっすぐ進むとここに行き着きます。橋本橋はこの辺りに架けられていたと思われます。

まるで回文のような、上から読んでも下から読んでも橋本橋(山本山のCMを思い出す)。橋の名前については、橋があった地名(神田橋本町)に由来するようですが、その橋本町は正保年中(1644~1648年)に博労役の橋本源七が拝領した地域なので橋本町と言われていたとか。「博労役は牛馬の売買や仲買をする業者である。」と千代田区観光協会のサイトにも橋本源七の説明が載っています。
そういえば、この辺の近くに馬喰町という街がありますよね。馬喰町の歴史をひもとくと、天正18年(1590年)に府中の馬市をこの地域で行うことが決まり、この辺にあった馬場を管理する人(博労頭)が住み着いて地域が博労町と呼ばれ、それが正保年間に馬喰町に変わったようです。博労も馬喰も読み方は同じ「ばくろう」ですが同じ意味なんですね。駅名はなぜ「ばくろ」読みなのだろう。

たどり着いた先の右手に見たことのある公園がありました。ここは龍閑川の散歩の時にたどり着いた、浜町川との合流点にあたるあの児童公園です。千代田区側から入ってきたので龍閑児童公園にまずは足を踏み入れます。

千代田区龍閑児童公園です

龍閑川と浜町川の散歩で何度も来ているこの地ですが、各最寄り駅(岩本町・馬喰町/馬喰横山/東日本橋・小伝馬町)の谷間なので、用がなければほぼ立ち寄ることはありません。なのに自分のリピート率がすごい。
下の地図の中央の緑色が公園です。

龍閑川跡が旧神田区だった千代田区と旧日本橋区だった中央区の区境なので、この先の橋は中央区に存在した橋に変わります。

中央区では龍閑児童遊園と名乗ってます

その隣(公園敷地内)にあるのが竹森神社です。

この神社は次の橋に関係があります。

竹森橋(たけもりはし)

下の写真は龍閑児童公園(遊園)と竹森神社の裏手に続く、浜町川の川筋の通路です。公園は左側に位置します。

公園の裏の浜町川の川筋道路
奥が北で歩いて来た方向です

下の写真が逆方向(奥が南・これから進んで行く方向)です。つまりこの道路上に竹森橋が架けられていたと思われます。橋の名前は竹森稲荷神社に由来します。

この橋は、浜町川が戦後の瓦礫処理の対象となったため、埋め立てられた時に撤去され廃橋となっています。撤去された橋は昭和4年6月に竣工された鋼板桁橋長さ7メートル、幅3メートルの橋だったそうです。

見出し画像は初めて浜町川の探索を開始した日(2024年5月27日)に朝の散歩で撮った龍閑児童遊園の看板です。在宅勤務日でしかも雨の日だった事を覚えています。朝に散歩したのは、当時の興味というか好奇心が勝ってしまったんでしょうね。我ながら無謀な行動でした。

この「その3」は「その2」が長くなり過ぎて分けた記事なんです。1つの記事はこのくらいがちょうどいいかもですね。


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