埋め立てられた川と橋があった場所(楓川その2)
その2です。久安橋の隣の橋からになります。
宝橋(たからはし)
関東大震災復興事業で昭和4年(1929年)に架けられました。架橋されたのが比較的新しいせいか、不思議なほど名前の由来には触れられていません。やはり宝町の町の名前からなのですかね。橋の両側に楓川宝橋公園が整備されています。
松幡橋(まつはたはし)
明暦の大火後に架けられた橋のようです。橋の両岸の町が松屋町と因幡町だったため両方の文字をとってこの名前になったと思われます。隣の弾正橋との距離はかなり近いですが、大正2年に新しい弾正橋が元の位置の上流に架橋されたためと思われます。(旧弾正橋は今よりもう少し下流にありました。
弾正橋(だんじょうはし)
これまでの記事で架け替えられた古い橋が何度か話題になっていた弾正橋。鍛冶橋通り上に架けられています。橋の名前は、江戸時代寛永期に2代目南町奉行を務めた島田利正の屋敷が楓川の東側にあり、その官位に因んでいるそうです。明暦の大火の後には屋敷はこの地から移っているようですが、橋の名前として残ったそうです。(下の記念碑の説明参照:弾正少弼って官位名だったのですね。)
橋の両側に公園が整備されていて、西側の楓川弾正橋公園には楓川に架かる橋をイメージしたと思われるモニュメントがあります。
この公園、せっかく整備されているのにいろいろ残念です。公園内のモニュメントは、写真を見てわかるとおり三方向が立ち入り禁止の看板で囲まれています。きっとこの辺に陣取る方々がいたのかもしれませんがちょっと興ざめです。そしてその後ろは喫煙所になっていて、不透明な仕切りで見通しが悪くなっています。橋の外側は安全のために金網で覆われている(もともとそんなに見通しがいいわけではない)とはいえ、こんな風に片側を全部覆うことはないと思います。橋の上からは橋が架けられている姿を見られないから、隣の橋から見るか道路脇から見るしかないのですが、そんな楽しみが奪われています。喫煙しない人にとっては近寄り難い場所になっています。
これはこの公園だけの話ではなく、中央区の公園に無理やり設けられた喫煙所の位置が配慮に欠けると常々思っているせいかもしれません。公園は喫煙者のためだけのものではないのに。もう少しいい方法はないのでしょうか。
見出し写真は弾正橋の親柱(南詰東側)で、右にある道路は都心環状線の京橋出口です。高架橋が右にカーブしている辺りが楓川と京橋川との交差点で、三つ橋がありました。明治36年に三十間堀川と京橋川の分流点が京橋と炭谷橋の間に改修されますが、その時に三つ橋の1つ「真福寺橋」は無くなります。その後、昭和5年の関東大震災の復興事業で、川の交差点から中央区役所付近までを連絡する堀割が開削され、楓川と築地川はつながりました。それが楓川・築地川連絡運河です。
旧弾正橋(八幡橋)
所在地:江東区富岡1-19~富岡2-7
旧弾正橋は富岡八幡宮の東隣の八幡堀遊歩道に保存されています。
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