竪川と亀戸
竪川(たてかわ)は東京都に存在する川です。首都高速7号小松川線にほとんど川筋が隠れてしまっています。「もと川」探検を始めた頃から書いているとおり、高速道路建設を早期に行うために用地を河川や公有地の上に確保したためでしょう。とはいえこの川はwikipediaにもある通り、大横川との交点から東側は横十間川との交点を除きほぼ暗渠になっています。
私は猿田彦珈琲が好きでカメイドクロック(通称カメクロ)のショップにちょくちょく行っておりまして、その度に通るのが緑道公園です。ここ、もともとは都電砂町線が走っていたらしく、竪川人道橋だった道の近くにこんな説明とモニュメントがあります。(この記事の写真は今年の5月~6月に撮ったものですが、一部再取材して足しています。)
竪川は河川敷公園として整備されています。
「三ツ目通り」とか「四ツ目通り」の由来も、橋巡りをしていて知ったのですがこの竪川の橋に因んでいます。竪川は江戸時代に開削され、六つの橋が架けられました。隅田川に近いほうから順に番号が振られ、一ツ目之橋、二ツ目之橋、三ツ目之橋、四ツ目之橋・・・という風に名付けられたそうです。通りの名前も後でその橋と同じ名前が付けられたとか。(一の橋通り、清澄通り、明治通りなど、違う名前の通りに変わったものもあります。)
ただし「五之橋」「六之橋」は一度撤去されているそうです。江東区の資料によると、明暦の大火後に江戸市街地の開発が進んだ際、本所深川に旗本・御家人の武家地を作ろうとして宅地を造成するための資材の運搬や武家地成立後の流通路として開削が始まっているそうです。ただし延宝8年の高潮による被害があり、排水も悪く武家地に適さないとされ開発を断念し、亀戸のような東の外れは往来も少なく不要と見なされて撤去されているようです。その後この場所には渡し場ができます。元禄2年(1689年)に再び本所深川の開発が再開されており、その時に再び橋が架けられたと思われます。
竪川河川敷公園を西に向かって進んでいくと五之橋の下を通るのですが、その手前にあったのが三代目歌川豊国の生地の案内表示。そして橋の下(両側)と橋の横に沿って現れる豊国ギャラリーです。何度か通ったことがあるはずなのにこの散歩の日まで気がつきませんでした。
それにしても、墨田区立川(たてかわ)が「竪」の文字を使っていないのは、戦後当用漢字で制限されていた頃に住居表示制度が実施され、漢字が使用できなかったせいだったとは。
1981年に常用漢字が告示されて当用漢字は廃止され、制限は緩くなったようですが、当用漢字のwiki説明を読んでいたら日本語の言語改革論議がこれまでも多数行われていて一時はローマ字化も計画されたとか(制定されてたら今どんな表記になったのか、怖っ・・・)。ネット検索してると、本来の話題とは関係ない情報まで飛ばしてもらえるから面白いです。その分、記事が完成するのにも倍以上時間がかかるのですが(笑)