見出し画像

昔有楽町には都庁舎があった

解体が始まっていることを書いた有楽町ビル・新有楽町ビルにほど近い東京国際フォーラム。そこは1991年3月に新宿に都庁舎が移転するまで旧東京都庁舎があった場所でした。もと東京府庁・東京市庁が正しいのかな。

この記事で有楽町の都庁舎で働いていたことがある高山さんからコメントをいただきました。その時、この辺りに都庁があったことは知っているけれど、どんな建物があったのかを全く思い出せない自分がいました。新宿新都庁舎は1990年12月に竣工し、翌年1991年3月に落成式があり4月から業務を開始しています。私は1991年1月から、省庁とも関わりのある企業の仕事に携わったのですが、書類を届けるためたった2度ほど都庁舎に往訪したことがあります。その1度目が旧都庁舎、2度目が新都庁舎だったというちょっとめずらしい経験でした。当時もう新宿新都庁舎は竣工しているので、旧都庁舎は引っ越し作業の真っ最中だったと思いますが、段ボールや荷物に溢れていてかろうじて通路は確保されていたような記憶があります。

その初往訪時まで、旧都庁舎があった有楽町や省庁が点在する虎の門・霞が関にはほとんど縁がなかったため、建物の外観もどんな所かもよくわかっていませんでした。知っている人に場所を教えられて言われるがまま旧都庁舎に向かい、無事用事を済ませて帰ってきただけなので、その時どうやって行ったかやどんな建物だったかの記憶が飛んでいます。2度目の新宿新庁舎往訪は開業目前の1991年3月下旬でした。西新宿で2年間働いたことがあったので土地勘があり、こちらはわりと気楽でした。新築の超高層ビルはちょっとワクワクしました。この時在職した企業は1996年に退職するのですが、今思えばもったいなかったな。後で興味が沸いたのはこちらの分野なので、私の転職ってなんだかちぐはぐです。

有楽町の旧都庁舎は記憶がないけれど、東京国際フォーラムでは何度もコンサートを観ており、そして今でも有楽町から東京駅への散歩コースでよくここを経由しています。ここ最近の街歩きは、たまたまいろんな史跡に出くわして記念碑やら史跡案内をみかけていたので、国際フォーラムには旧都庁跡の史跡案内とか何か残ってないのかな?と思ったわけです。そんなものがあるとは思っていなかったから、探すことすらしていませんでした。そしてそれ以外の史跡案内ですら気づいていなかった自分ですから気づくわけがありません。

やはりありました。まさかこんな所にです。毎度素通りしていました。

後ろから見たところ。
これは気がつかないでしょ?


国際フォーラムにある太田道灌像。元々この地(旧都庁舎前)にあったものです。

こちらは2024年10月に撮影
角度を変えて撮影したこちら側に説明があります
(こちらは2025年1月に撮影)

 室町時代中期の武将太田道灌(1432年~1486年)は、江戸城を築き江戸、東京にゆかりの深い人物として知られています。
 この像は、ここに都庁舎があった昭和33年、当地に設置され、長らく都庁のシンボルの一つとして親しまれてきました。
 都庁の移転後、ここが東京国際フォーラムとして新たに生まれ変わったことに伴い、平成8年5月、ゆかりの深いこの地に復帰することになり、以前と同様に、居城であった旧江戸城(皇居)を望んでいます。
 製作者の彫刻家朝倉文夫氏は、第2次対戦中に旧東京市庁合から撤去、供出された旧太田道灌像の作者渡辺長男氏の実弟です。

太田道灌像の説明

そして旧都庁舎の写真もこの地にちゃんと残っていました。何故いままで気が付かなかったのか、太田道灌像の最初の写真の奥にチラッと見えている写真の数々、あれだったんです。この通路を通ったことがなかったので全く気づいてませんでした。

全部で21枚写真が飾ってありました。一番知りたかったのはやはり、どこに何があったのかです。(拡大してご覧下さい。)

これを見た時に、国際フォーラムだけじゃなくてこんなに範囲が広かったのかと驚きました。いつも前を通り過ぎているあの広大な駐車場は第二本庁舎跡地で、その隣の第三本庁舎は残されて利用されているし、よく足を運んでいた旧無印良品有楽町(有楽町インフォス)も跡地に建てられた仮設劇場の再利用だったんだとわかったら、(知らなかったことに衝撃を受け)なんだかめまいがするほどでした。本当になにも知らないで跡地を利用していた1人でした。

展示されている写真の中に、解体後国際フォーラムの建設が始まった更地状態の写真がありました。今の自分が解体に敏感なので、なんだかすごく反応してしまいました。
写真はいつでも見られるところに展示されていますので、興味がある方は足を運んでみてはいかがでしょうか。

いいなと思ったら応援しよう!