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埋め立てられた川と橋があった場所(油堀川その1)

5月の大型連休後半に、清澄白河にある深川江戸資料館を訪れました。霊巌寺の隣にあるこの資料館、いつも近くまで行っているのに足を踏み入れたことがありませんでした。入館料も400円とお安いので、何か資料になるものがあるかもと入ってみました。江戸の町並み再現は時代劇とかでもよく見る風景だったのでその時はあまり興味がなかったのですが(ごめんなさい)、導入展示室の年表は深川ゆかりの人物や深川地区の出来事がたくさん出てきて興味深かったです。あっさり廻り終わって1階に戻って来た時に、販売されていた江東区関連の資料に興味があり購入しました。それがこちら。

橋巡りをした後に橋に関する記事を書こうとすると必ずぶちあたる震災復興。なので興味があったんです。江東区限定の内容でしたが、当時の様子などを伺い知る事ができる資料は貴重です。
深川江戸資料館のあとぶらっと散歩をして、帰ってきた後にこの資料を見ていたら、この絵葉書の写真が掲載されていました。

大正12.9.1 東京大震災実況
最も惨鼻を極めたる深川黒亀橋の惨害

震災直後、油堀川にかかっていた黒亀橋が消失し、市電のレールが油堀川に浮いている様子をとらえたものらしいのですが、油堀川?黒亀橋?市電?ここはいったいどのあたりなのだろう?聞いたことのない地名で全くピンと来ません。興味をひかれて資料を見ていたら、黒亀橋は現在の葛西橋通りと油堀川跡が交差する所にあったと書いてありました。まず油堀川跡がわからないのですが?といろんなハテナが飛び交う中、同じページに載っていた地図の説明を見てはっとしました。黒亀橋の場所はこの日の散歩で何気なく通過した道路だったのです。

実はこの日は、深川江戸資料館の後に新川(霊岸島)に行っています。「亀島川橋巡りその3:霊岸橋」の記事を書くための取材でした。徒歩で行く気満々で、清澄白河でランチを食べた後、清澄通りを経由して、深川一丁目交差点から葛西橋通り沿いに歩いて永代通りに出ました。その時偶然通った高速道路の真下がその黒亀橋のあった場所でした。

475と出ているのが東京都道475号永代葛西橋線(通称葛西橋通り)で、その通りとクロスするように首都高速9号深川線の高架橋があります。昔はこの高速道路と同じ道筋に水路があって、それが油堀と言われた川でした。

油堀川はいわゆる掘割(地面を掘って作られた水路)で、十五間川とも富岡川とも言われたらしいです。高速道路の高架橋が敷かれた形そのままなので、西は隅田川に合流している江東区佐賀2丁目1、東は木場3丁目19あたりまででした。
木場(地名)に直結している水路だったので、木場が貯木場だった頃、この川は輸送経路として非常に大きな役割を果たしていたそうです。ちなみに、油堀川は元禄年間(1688年~1704年)に開削された水路で、油堀沿岸(現在の佐賀町や福住町)の両岸には油問屋が多く、油商人の会所があったことにちなんでこの名称が付けられたそうです。

かつて黒亀橋があった辺りです。現在は首都高速9号深川線の高架橋の真下に位置する475号線の道路に変わりました。

亀黒橋があった辺り(葛西橋通り)

首都高速9号深川線(もと油堀川)の道筋です

黒亀橋のことを調べていたら、そのすぐ近くに架かっていた富岡橋のことも同時に知ることになりました。もとは亀島橋よりも隅田川寄りにあって、閻魔堂の近くだったので閻魔堂橋とも言われていたそうです。そしてこの橋は明治34年の道路新設に伴い廃橋となっています。

閻魔堂橋跡の史跡看板

おそらく旧富岡橋と入れ替わるように黒亀橋が新設されたと思われますが、大正12年9月1日の関東大震災で焼失します。その後復興計画により昭和2年11月に黒亀橋が、昭和4年3月に新しい富岡橋が竣工します。新しい富岡橋は油堀川に面した江東通り(現清澄通り)上に架けられました。黒亀橋と富岡橋は油堀川の埋め立てにより廃橋となりますが、その理由は主に木場の移転で水路が不要になったためのようです。偶然か計画的か、高速道路の建設もほぼ同時期に進んでいます。
昭和4年に竣工したほうの富岡橋の親柱は、高速道路深川9号線と清澄通りが交差する真下にある油掘川公園と駐輪場近くにそれぞれ残されています。
(見出し写真は富岡橋の跡地です。)

残されているだけマシなのでしょうが
どの親柱も囲われてて撮りにくいです

資料をもとにまとめると、富岡橋は江戸時代に幕府によって架けられ、明治6年7月に架け替えられ(木橋)、明治34年5月に道路新設にともない一度廃橋となり、その後東南側に黒亀橋が架けられ、関東大震災があってその復興計画で黒亀橋が昭和2年11月に、新設の富岡橋は昭和4年3月に竣工され、木場の移転に伴い昭和50年から油堀川が埋め立てられ、橋もなくなり、首都高速9号深川線が昭和55年2月に開通した、という感じでしょう。

5月は圧倒的に江東区にお邪魔することが多くて、こんなところにも足を運んでいました(5月12日)。個人的には深川資料館より楽しかったです。


今回の散歩で、高速道路と川は切り離して考えてはいけないことを完全に理解しました。ちょっと前に「川のそばには高速道路がある」なんて話をしていましたが、それは至極当然のことでした。高速道路はそうやって作られていったのですから。

路線の選定にあたっては、早期の交通対策が可能となるよう用地取得の容易さが重視され、とりわけ都心部においては神田川、古川、外壕などの河川上空、楓川、京橋川、築地川などの運河の埋め立て、都電の廃止で幅員を広げた道路により、民間からの用地買収を極力抑えて路線用地を確保した。

Wikipedia 「首都高速道路」より引用

これまで私が橋巡りをしたところは、残されて整備された水路でした。今回、埋め立てられて消滅してしまった川の存在に気づき、そこに架けられていた橋の場所をいくつか廻ったことで、暗渠とか暗橋とか言われている場所に非常に興味を持ってしまいました。上の高速道路の説明の「楓川」「京橋川」「築地川」は今はすべて存在しませんが、京橋や築地の近くに高速道路があることは知っています。軽く想像しはじめたら、どこに何川があったんだろうとか、橋があった跡地はどうなっているのだろうかなどと、もうワクワクが止まりません。東京の散歩、まだまだ楽しめそうです。

暗渠に興味を持っている方はけっこう多くてびっくりしますが、みなさん自分の足で確認しに行ってますよね。そんなわけで、これからしばらくは、もう川でなくなった川巡りをしたいと思います。

5月に訪れた場所とそこで購入した資料と、最近のマイブームを象徴しているかのような本。それにしても、江東区で購入した資料は安い。「江東区のあゆみ」は100円でした。「江東のいまむかし」には富岡橋から撮影した在りし日の油堀川と黒亀橋の写真が載っています。

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