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エホバの証人2世として育ち脱退した話し。
母親がエホバの証人で2世として育ったnote記事の続きです。
私の10代後半は17歳でフィリピンへ1年間留学、その後は専門学校とバイトと夜遊びに耽る毎日で、寝るためだけに実家に帰る生活でした。
両親とは会話をすれば何か嫌味を言われそうで、顔を合わすのも正直億劫で避けていました。
そんな状態のなか、私は逃げるように留学のために渡米。
21歳で帰国したときには父は末期の大腸がんで余命半年でした。
私の帰国後、余命宣告通り父は52歳という若さで他界しました。
子どもの頃は大好きだった父ともっと話しがしたかった。お酒が大好きだった父と笑いながら一緒に呑みたかった・・・
父とはまだやり残したことがある。
もし楽園でまた会えるチャンスがあるならそれに賭けてみたい。
父は晩年エホバの証人になるための研究生になっていたので、母やエホバの証人の方たちから「あなた次第でお父さんにはまた会えるチャンスがある。」と言われました。
「家族揃って永遠の命を得て楽園に行き、また一緒に暮らす」
という母の願いも私が頑張れば叶えてあげられると思い、
エホバの証人になろうと決意しました。
集会に出席し、エホバの証人の姉妹(洗礼を受けたシスター)にお願いして個人的に聖書研究も始めました。今回こそは本気でやるぞという意気込み。
父と母が信じたものならきっと真実に違いないという期待がありました。
親のことを信じたかったんですね、きっと。
1年ほど集会と聖書研究を欠かさずに行ったけど、どうしても矛盾と違和感が残り、信仰が持てず、どうしたら良いのかと姉妹に打ち明けました。
姉妹から「エホバ神を信じていますか?」と聞かれて、
「神を感じられないし、どこにいるかもわからないから信じられないんです」と正直に答えました。
一旦聖書から離れてみることにしました。
それを知った母からこう言われました。
「あなたは永遠に生きたいと思わないの!?」
とっさに出た言葉が、
「私は永遠に生きたいと、1ミリも思わない。」
父が亡くなったあと
「自分のなかに父はずっと生き続けている」と感じるようになり、次第に父とまた会いたいという気持ちが薄れていきました。
会わなくても私は大丈夫だと分かったのです。
エホバの証人の生き方というのは、
もうすぐ地球に終わりが来てそのあと楽園で暮らすために、今一生懸命エホバ神が喜ぶ行動をするというもの。
私は、
たとえ明日世界の終わりが来ても「いい人生だった」と思えるような生き方がしたい。楽園のために何かを我慢して、楽しみきれない人生は嫌だ。
楽園が来ても来なくても、永遠の命が得られなくても、
私が「これで良かったんだ」という後悔がない生き方をすれば良いだけだということが分かってしまいました。
母の願いが叶わないのは残念だけど
母が自分が信じる道を貫いたように、
私も自分が信じることを貫こうと思いました。
・・・楽園には苦しみも悲しみもないらしいので、
もし楽園に私がいなくても母は悲しむことはないでしょうしね。笑
エホバの証人になれないと分かったものの、
その後は心に空いた穴を埋めようするも何をしても満たされず、男性とお酒に依存するようになりました。