むすめのはなし
ここではほとんど話をしたことのない
わたしの大事な次女の話を、します。
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わたしにとって彼女は「戦友」であるし「親友」でもある
不思議な女の子です。
ずっと「末っ子」になるだろうとされていて
10歳になって弟が生まれるまで
私と一緒にずっと歩いていてくれた
大切な。存在です。
たぶん娘ではなくても。
この世で正直にいえば
彼女らの父親より
長女より息子より、わたしは彼女が。大事。
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さて。
彼女はいろいろあって
小学校四年生くらいまでわたしの実家で暮らしていた。
彼女は同じ年男のわたしの「父」の宝物で
正直、彼の「親友」でもあった。
彼女が座れるようになって
父に会い、父は音楽とともに左右に揺れて彼女に動きを見せて
その動きを彼女がコピーした。わたしがやってもそんな動きはしない。
一緒に彼と彼女は踊った。
彼女が小学生になり夏の宿題にあった質問を彼に問う。
『戦争ってどうだったの?』
彼はいった
『この世で一番大事な孫にあんな悲惨な体験をしゃべれるわけがない』
彼は沈黙した。
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のちに、母が言うに。
父は満州からかえってきた生還者で。
それを「次世代につなげたい」という意欲があったひとだった。
なんたらかんたら禁止世界大会みたいな夏のイベントにも
彼はよくでかけてゆき…若い人たちが継承しているのを
わたしが「小さいころ」は喜んでいたのだ。
その彼が大事な孫娘に
「戦争の時。どうだったの」ときかれて彼はうろたえてしまった。
だからなにも「しゃべれなくなっていた」
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実はわたしは延々悲惨な満州話を父からきいていた小学生だったwww
そのときってあんまり「戦争について身近な人に話を聞きましょう」って
宿題、都市伝説くらいにおもっていたんですよね。
都市伝説ではありませんでしたwwwwwwwwwwww
わたしはきいていてよかったとおもうけれど
単純に夏休みの小学生に「満州ではね」ってすごいえぐい話を
担任の先生は求めてなかったよね
だって「わたしより年下の先生」だったし。
レイプされたり
レイプされるのわかってるから先に自害したりとかさ
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まぁそれが父の母と姉の話で
今ちょっと父の兄弟の相続話で「同じ命日」っていうのを父の母と姉の戸籍をとりよせたら「創作話でなかった真実」みたいになっていて
とてもとてもネタにはできそうにもない。
ただ。
教科書通りにものごとが「うごくわけではない」って
リベラルの人が延々いいつづけるんだけれど
左派のひとは「きちんとした説明を求め続けなければいけない」みたいになっていてなんだか怖い。
いやそうじゃなくて「人間にはそうせざるをえないときがあって認めてあげようよ」がどうしても「理解できないひとがいるのかな」という
気持ちがとても僕にはある
うさぎ飼育しているひとが
食糧難になって目の前に飢餓の子がいてうさぎを食べたら
生存できるってなったとしてうさぎをさばけるかな、みたいな気分で
わたしはさばけるけど
うさぎ一匹でその子が助かるならね
そのためにうさぎ飼育してましたっていえるくらい
極限のことがいろんなひとにはあるとして
それが「倫理的ではなかった」ということにたいして
将来、たたき続けるひとになれないなってことなんですよ
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なにがいいたいかといったら
なんとかタイムラインみたいなのがこの夏流行?
していて娘のタイムラインにもでてきたらしいんだけれど
「広く知らしめることが将来的にそれが必要であるとは限らない」という
趣旨の祖父の意思を思うと
「ひろくしらしめてそのときのひとを実はディスってるってことになるんじゃ」と彼女は思ったらしい。
もちろん「知らしめたい」というそのときもあったかもしれないけれど
知らしめたくないという「ひと」もいたんだよと。
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わたしは次女のことが本当に好きです。
彼女の人生はいろいろ、彼女がいろいろ考えすぎてつらすぎて悲しいことで
あふれていることも知っています。
普通の人が「乗り越えられる普通のこと」ですら
ある種の「特性」によって「無理」ってなる感じのひとなので
でも彼女の「一生の理解者」であるというのが僕の矜持。なのです。