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夢が叶うほど残酷なことはないのかもしれない

こんにちは。インデックス投資家のウォークです。

自分語りを1つ。

僕の夢は消防官になって活躍することでした。

人が逃げ出す災害や火災の現場に、逆に飛び込んでいく姿は僕にとっての現実世界のウルトラマンでヒーローだったのです。

『消防官になる。』

10代後半から21歳までの僕の目標はこの一点に集中していました。

高校卒業後は救急救命士の専門学校に通い、一生懸命勉強しました。

多分、周りが引くほど勉強したと思います。

学校は主席で卒業しました。

ポンコツだった僕が結果を出すためには他の楽しいことややりたかったことを犠牲にせざるを得なかった。

そんな努力を続けて僕の夢は叶いました。

晴れて消防官になることが出来たのです。

採用試験の合格通知を見たときは本当に嬉しかった。

消防官として現場に出た僕は、救急救命士の資格を持っていたこともあり、主に救急隊員として活動しました。

救急隊は激務です。

僕の所属していた部隊が都会だったこともあり、夜中の1時に出場し、2時に帰ってきて事務処理。

2時半にようやく仮眠できるかと横になった瞬間、出場指令のサイレンで飛び起きる。

そのまま一睡も出来ないという日がほとんどでした。

ただその忙しさはある程度覚悟していたものです。

それでも、毎日毎日そんな日々が続くと

助けを求める傷病者に対し

『何だよこいつ。軽症じゃん。自分で病院行けよ。』とか

『また生活保護受給者かよ。税金払わねーくせに救急車呼んでんじゃねーよ。』

といった、暗い感情や怒りが止められず、愚痴が止まらない自分がそこにいたことが情けなくて、悲しくて、悔しかったです。

ピーポーというサイレン音が非番の日でも耳から離れなかった。


夢を叶えて幸せだったはずの僕は
自分が思い描いていたビジョンと現場の乖離に苦しみ続けました。

そうして、僕は5年働いた後に消防を退職したのでした。


…長々と語ってしまいすみません。

僕がこの一連の経験から学んだことは

自分はこうなりたいんだ!という強い想いや

自分の人生の目標、やりがいはこれだ!という希少性は

時に自分を苦しめてしまうということです。


僕は確かに夢を叶えました。でも、幸福ではなかった。

自分が叶えた願いが、努力の先が、望んだ世界とは違う懸け橋になる時

こんなに人は苦しんだと理解できました。


以下は僕の好きな作家さんの小説に出てくるセリフです。

俺は金が好きだ。
なぜかと言えば、金は全ての代わりになるからだ。
物も買える。命も買える。人も買える。心も買える。幸せも買える。夢も買える。
とても大切なもので、そしてその上でかけがえのないものではないから好きだ。
逆に言うと俺はな、かけがえのないものが嫌いだ。
これがなきゃ生きていけないとか、あれだけが生きる理由だとか、それこそは自分の生まれてきた目的だとか、
そういう希少価値に腹が立って仕方がない。
阿良々木に振られたら、お前に価値はなくなるのか?
お前のやりたいことはそれだけだったのか?
お前の人生はそれだけだったのか?

引用:西尾維新『恋物語』



このセリフは長いけど、
なんだか僕に向けられている言葉のような気がして

初めて読んだ時に

胸がぎゅーと締め付けられるような、もしくは胸をえぐられるような感覚で

自分を一度に肯定も否定もされているような奇妙な感覚になりました。

なんだか自分でもよく分からない気持ちになって、涙が出たのを覚えています。


引用: えいぷ @ONIKU11711


それからけっこうな時が経過し

資産形成が進むにつれて
僕の人生の選択肢は増えました。

それと同時に希少性の危うさにも気づきました。

希少性にとらわれることは、ある意味で自分の人生を自分で縛ってしまうことなんじゃないのかなと。

消防にいた頃の僕は、あまりにも視野が狭かった。

自分自身の大事な価値観も、世の中の広さも見えていなかった。


夢を叶えるために一生懸命に頑張ることは素敵なことです。

でも時に

これがなきゃ生きていけないとか

あれだけが生きる理由だとか

自分の視野を狭める危険があること。自分を縛り付けてしまう可能性があること。

あなたにもお伝えできればと思い、この文章を書きました。


僕のお金に対しての価値観や、何事にも縛られないように涼やかに生きたいという自由への渇望は

この経験からきているのかもしれません。


視野を広げるために、あなたも資産形成してみませんか?






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