遊びでは無いロックバンドを始めるなら考えた方がいいこと
わきゅうです
だいぶ説教くさいタイトルになってしまいましたが、今日はこのテーマで書いていきたいと思います
みなさん、人それぞれの動機でバンドを始めると思います。僕は自分の得意なことで勝負したいなあって思った時の科目がバンドでした。ただ、実際にライブハウスで出会うゴリゴリなバンドマンと出会うたびに、先述した"得意なこと"という自覚は削れていったわけですが…。
個人的に、続いていく(続いていくように見える)バンドには共通点があると思います。それは、まず存在を認識されていることです。ツイッターを見てると、バンドマンのツイートのリプ欄にはバンドマンがいるし、そんなバンドマンのプロフィールに記載されているバンドアカウントを見ると解散してたり、長らく活動している様子がなかったり。バンドって、ほとんどが僕らの知らないところで産まれて知らないところで消えていくんだと思います。例に漏れず弊バンドも一度は活動休止を決め、ひっそりと終わろうとしていたわけですが。
本題に戻ります。ロックバンドをせっかく始めたなら、良き師匠に出会ってください。バンドは、所属している人間の能力の限界まで大きくなりますが、逆を言えばそれ以上は大きくなり得ません。それを覆す可能性があるのが、師匠という存在だと、今更ながら思います。
師匠という存在は大きくて眩しいです。対等に言葉を交わそうとすると、自身の至らなさばかりが目について、萎縮して、音読を当てられてしまったお調子者のように声が小さくなってしまいます。その、萎縮してしまう原因こそ、自身が定義した可能性の殻みたいなものだと、最近思うんです。
誰かに寄りかからずとも、自立して歩いて行ける人なら師匠は必要ないのかもしれません。自身も過去にはそんな風に思っていた節があるように思います。でも、自分の能力の範囲だけで全てをどうにかしようと足掻いたバンドは虚空に消えてしまいました。優しい言葉をかけて去っていく人や、自然と離れていく人、理由は色々ありましたが、全て能力不足なんです。数ある未来を天秤に掛け、見切りをつけた人からバンドを去っていく。当然です。
自分の輪の中で済まそうとし始めた瞬間から、限界は定義され、組織は終わりを待つだけの受動的なものに変わるのかもしれません。僕の周りのバンドマンはみんなシンプルに、音楽に心を揺り動かされてきたキッズたちです。単純に、自分のバンド、作曲者の音楽に夢を見れなくなった人から現実に還っていくのかもしれません。バンドはまじで儚い。
とまあ、僕自身のなんとなくの現在地、バンド運営の信条みたいなものを書き連ねてみましたが、どこか強迫的でもあるなあと思います。何かに信心深くあることは善いことだと思いますが、それを人に押し付けないことはもっと大切で、善いことであるように思います。
現在のところ、
私には3人の師匠がおります。
直接ボイストレーニングを指導頂いている方や、バンド運営の心得を発信してくれている方など。ここで言いたいのは、必ずしも師匠とはオフラインで、直接出会わないといけないわけでは無いってことです。肩肘張らずに、師匠、探していきましょう。道が開けることと思います。